車椅子を押すと見えてくるもの

あくまで自己中心的な視点ですが・・・

一昨日、私は車椅子押し人として一般社会にデビューいたしました。乗客は、高齢にしてヨレヨレの母であります(汗)。

今までは病院内といういわば保護区の中で押したことはあっても、オープンエアかつ弱肉強食的な一般社会のインフラ上で乗客を運送するのは初めてのことでした。

初回なので母ともども若干ナーバスになったものの、恵まれた天候のもと、電車で数駅先の公園までなんとか無事に紅葉狩りに行って来ることが出来ました。

その道中にて・・・

今まで意識したことがないところでストレスを感じたのであります。例えば、

  • 車道~歩道、ホーム~電車の「段差」(慣れないと意外に超えるのがたいへん)
  • 「自動改札」(パス、切符を正しく入れても引っ掛かりはしないかとヒヤヒヤ)
  • 使用禁止になっていた公園の「誰でもトイレ」(ガッカリ度は大きい)
  • 周囲の「視線」(車椅子は珍しくないにも関わらず視線の密度は明らかに上がる)

反面、ありがたかったのは、

  • エレベーター(楽ちん)
  • 公共トイレ(広くて使いやすい)
  • 段差のない駅構内や公園(よく考えられている)

10年ほど前、タイのバンコクに赴任していたときに、大きな歩道の段差、エレベーター・エスカレーターのない駅、トイレにそれらしい配慮がないこと、などを現地の人たちに指摘すると、マイペンライ(問題ない)、何でそんなことを聞くのかと逆に返されて口がアングリ開いたものでした。

曰く、弱い人や困っている人は近くにいる誰かが助けるから何も問題ないじゃないかと。

・・・たぶん、日本もほんの数十年前まではそういう世の中だったんだよね。

今の日本社会においてはハード面の配慮はだいぶ進んできています。でもそれは弱い人や困っている人の手助けになるからであって、普通人が手抜きをするために設けられているものではないはずです。

思いやりや互助精神が希薄になったのでインフラ整備に力が入るのか、設備が充実するから気持ちが薄らいで行くのか。

タマゴが先か、ニワトリが先か・・・

どちらにしても困っている人を思いやる、手助けする、日本人が本来持っているお互い中間じゃないかという気持ちを置き忘れてはならないと改めて思った次第です。

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