2001年に21世紀が始まって早いもので20年経ちました。
今回はタイトルのとおり、この時期に「21世紀」というものを軸にいろいろ考えてみたいと思います。
長文になりそうです。
1.世紀末の思い出
個人的には、2000年9月からタイ王国に赴任していたので、21世紀を奇しくも異国の地で迎えたのが懐かしく思い出されます。
99%以上の人が、一生に一度しか経験できない世紀末。
その世紀を跨ぐ特別な年末に、バンコク中心部の繁華街で行われた年越しイベントで雑踏に揉まれながら大口を開けて打ち上げ花火を見ていたら、バッグに入れていた財布を抜かれそうになり、寸前で気が付いて冷や汗かきましたっけ。
パスポートが入っていたので、日本人特有の安全ボケを反省したブラックな思い出です(大汗)。
あれから20年・・・
2.あこがれの21世紀
・・・この世に生を受けてからは、64年と11か月。ウ〜ム。
昭和の高度成長期に少年時代を過ごした世代で、「21世紀」というキーワードに特別な思いを持つのは筆者だけではないと思います。
なにしろ頑張れば頑張っただけ手応えやリターンがあった’60年代。未来は明るく眩いばかりのものでした。
共感してもらえるといいのだけど…
3.こんな未来を夢見ていた
その頃、筆者がイメージしていた21世紀とは、日常の延長線上にあるものではなく、全然レベルの違う技術やモノや生活が普通に目の前に展開している、それこそ夢のような別世界でした。
モノであればこんなもの。
- テレビ電話
- 超高速鉄道
- 水上空港
- 林立する超高層ビル
- 人間型ロボット
- 家事が全自動の住宅
- 宇宙ステーション
- 宇宙旅行
- 水陸両用車
- エアカー(空飛ぶ車)
- タイムマシン
微妙なものもありますが、タイムマシン以外はすでに実現済みか、普及は別にして実用化がそう遠くないものばかりですね。
もっとも筆者はSF小説やプラモデル好きな少年だったし、往年の挿絵画家小松崎茂さんの影響をもろに受けた世代ですから、少し偏心したイメージかもしれませんがね(笑)。
4.現実の21世紀は
さて、現実の21世紀前半の真っただ中にある現代は、いったいどんな時代なのでしょうか。
ストレートに良いか悪いかを尋ねられたら、筆者はまず「ウ〜ン」と考え込んしまうでしょう。
なぜなら、筆者が生きてきた半世紀強の間に、ITを始め諸々の技術の進歩で良いこと凄いことがたくさんあった半面、子供のころには想像もできなかった難しい問題もたくさん発生しているからです。
- 地球温暖化とエネルギー問題
- 気候変動と全地球的な災害の増加
- 感染症や有害昆虫の蔓延
- 富の偏り
- 膨張する中国、米中対立
- 独裁、専制体制国家の増加
- 低品位な指導者の台頭
- 核や先端兵器の次は宇宙軍拡
改めて挙げてみると、すべてが関連し合っているように見えるのが不思議です。
そのほかにも、地球上のどこかで発生する飢餓や貧困、地域紛争、領土争い、民族や宗教間の対立、難民、人権蹂躙、差別などのニュースを見聞きしない日はありません。
また、日本は日本で豊さの裏返しのような、光の見えない問題が山積しています。
人口減少、高齢者比率の増加、隠れた貧困や差別、子供の虐待、ストーカー、引きこもり、薬物犯罪、猟奇的な犯罪等々。
5.結局、人間てやつは
改めて我々がその真っ只中に居る現実の21世紀を見回してみると、子供の頃に思い描いたようなバラ色の世界でもなんでもなく、良いこともたくさんある一方で解決困難な問題がたくさんある七面倒くさい世界でした。
それらの厄介な問題は詰まるところ、欲と煩悩を引きずり本質的なところでは昔から何も変わっていない「人間」という、文字どおり厄介な生き物に起因すると言えるのでははないでしょうか。
- ワイワイガヤガヤ・・・
- アーでもないコーでもない・・・
- アレが欲しい、これじゃイヤだ・・・
- あいつらに負けるわけにゃいかねぇ・・・
- もっと速く、高く、遠く、たくさん、簡単、楽ちんを目指せ・・・
- 七面倒くさい問題には、この際目をつむっておけ・・・
- オレらはたおれるわけにゃいかねー・・・
- 一番にならなきゃならねんだ・・・
・・・欲と煩悩にまみれ、相も変わらずその日暮らしに明け暮れながら、猥雑で歪で不公平で諍いや争いごとの絶えないこの世界を作っている人間。
碌でもない生き物、人間。
結局、人間てやつはどうしようもない生き物・・・
そのどうしようもない生き物が作る世界なんて、いつまで経ってもそんなもの・・・
残念ながら、このあたりが現実の21世紀に対する筆者の正直な感想かも・・・
そんな感じです。
6.その先にあるもの
閑話休題
そうかと言って地球に貼り付いて生きている限りは、もとい、どこで生きていようが絶望ばかりはしていられません。
「それじゃまずいじゃん!」と過去を反省し、「どこに問題があるのか…」と現状を分析し、「こうすればより良いのでは?」と未来を改善しようとするのも、また人間です。
例えば、20世紀に2度起こった世界大戦を反省して作られたのが国連であり、21世紀に入りその国連からSDGsのような人類共通の目標が提唱されました。
SDGsは2015年に採択され、2030年までの15年間で達成すべき17の目標が掲げられています。
大雑把には、「安心して長い間住める地球を、全員参加で維持しようじゃないか」とその心を理解し、そこに一筋の光明を筆者は見出しています。
以下、そのコンセプトについて、筆者的に一番分かりかったサイトからの抜粋です。
こちらは大雑把ではありません笑。
SDGsとは何ぞや。
SDGsはなぜ今必要なのか -世界が一つになって課題に立ち向かうための共通目標-
驚異的な速度での発展によって発生した人類の課題は、世界共通の目標なしに各国、企業、個人が振舞い続けると改善に近づかないばかりか解決からどんどん遠ざかります。
課題を解決しなければ世界の状況はますます悪化し人間の生活をさらに危険にさらしてしまい、みんなが幸せに暮らせる世界からは離れていってしまいます。
この状況を大胆に変革し安心安全で平和な世界に近づいていくための目標がSDGsなのです。
7.本稿で言いたかったこと
上記で言及されている「安心安全で平和な世界」。
これこそが、筆者が子供のころに夢見た素晴らしい別世界である21世紀の地盤や背景には必須のもの、作りながら維持すべきもの、まさにSDGsの目指す世界だと思いました。
至極当然のことですが、ここまで書いてようやく筆者が言いたかったことにたどり着いた気がします。
いくら進歩した技術やモノであっても、それらを戦争の道具にしたり、エネルギーや資源を浪費したり、地球環境を汚したり、既存の原発のような諸刃の剣にすることがあっては、後世に対して顔向けができません。
我々世代にとっては未来だった21世紀を、次の時代を担う子供達が健全に育ち素敵な未来を想像し夢を持てるような時代にする、これが21世紀に生きる大人の役割ではないでしょうか。
一人一人は大したことができなくても、心のどこかに理想を持ち、一人や、俺たちだけや、一国だけではなく大勢で地球に生きている、そう思い続けることが大切ではないでしょうか。
8.まとめ
前項で結論めいたことを言ってしまったので簡単にまとめます。
日本語の「もったいない」の意味を正確に表す英単語はないそうです。
「いただきます」や「ごちそうさま」、「お疲れ様」、「お陰様」、「お互い様」もまた然り。
まとめが斜めの方向に行きそうですが、欲や煩悩を前提にした上で、技術やモノのようなハードのほかに、上記のような日本語の心である、感謝、思いやり、慈しみなどの気持ちもまた、世紀を超えて未来に、次の世代に伝え残していきたい・・・
21世紀20年目の年末に、殊勝にもそんなことを考える次第です。
ご精読ありがとうございました。