銀杏
「イチョウ」とも「ギンナン」とも読む。
今回取り上げたいのは、ギンナンの方である。
臭いは独特だが食べるとおいしい、茶碗蒸しに入ってたりするアレだ。
過日の早朝、ウォーキングの途中、公園の地面に散らばる頃合いに熟したソレに出会った。
瞬間、筆者の脳裏に通行人に踏みつぶされ強烈な臭気を放つソレの姿が浮かんだ。
とてもスルーはできなかった。
さっそくウエストバッグからビニル袋を取り出し(なぜか入っている)、自然に感謝しながらいそいそと適当量を拾い集める。
もちろん、抹茶色に煌めくソレをアテにビールを飲む場面も浮かんでいた。
家に戻りさっそく処理にかかる。
ビニル袋の黄色いカオスに手を突っ込み、指で潰すとニュルっと種が飛び出す。ゴム手袋は必須だ。
7~80粒はあろうか。
強烈な臭いに眉間に皺を寄せながらざるに取り、バケツの中でしばらくもみ洗いする。やがて殻の周りに残った果肉もきれいに落ち、やっと店屋で売られている「ギンナン」の姿になる。
閑話休題
ここで家人B(配偶者)の並外れた嗅覚について書いておかねばならない。
とにかくあらゆるものの匂い及び臭い(以下ニオイ)、どちらにも敏感なのだ。
センサーの感度が異様に高く、筆者がまったく気づかないレベルのニオイに鼻をヒクつかせ反応することがしばしばある。種類の識別もそれは正確だ。
例を挙げれば、台所のコンロで焼き魚をしたあとの残り香を嫌って換気扇を2~3時間は回しっ放しにする。
カレーの日はそれ以上だ。
そうかと思えば筆者の入浴後、廊下ですれ違いざまに「今日、リンス多すぎない?」、ビシッと指摘されることもある。
とにかく24時間、365日、空気中のありとあらゆるニオイが猛烈に気になるのだ。
そんな特異な嗅覚のBにとって家の中に持ち込まれた生のギンナンは、言わば劇薬、毒物と言えよう。
特に今回のようなギンナン処理案件では、熟した果肉と種(いわゆるギンナンの部分)を分離する工程で一番強烈な臭気が発生する。ひょっとするとBの生命にかかわるやもしれず…………そんな場面だ。
自ずと作業場所選びは慎重にならざるを得ない。
水場という意味では台所、風呂場だが、前者はBの聖域、後者は窓なしの密閉空間。そんな場所に黄色いブツを持ち込むのは絶対に避けねばならない。
例の濃厚な果汁は、わずかな飛沫でも強烈に臭う。床に滴れた一滴を知らずにスリッパで踏んで家の中を歩き回れば…………考えるだに恐ろしい。こちらは筆者の命にかかわる問題だ。
そんなわけで、ほとんど全部ベランダでの作業となった。もちろん、ガラス戸はピタリと締めて、だ。
もみ洗いしたソレをバケツからすくい上げ、あとは乾燥させるだけ。完全無欠な酒肴の出来上がりである。
さて、夕方。晩酌の準備にかかる。
アテは言うまでもなく新鮮なギンナン。あとは煎るだけだ。
ここに、最後のハードルがあった。
家人Bのテリトリーである台所でギンナンを煎らねばならない。
何を使う?
迷ったときは、ホウレンソウだ。
- 筆者
- ギンナン煎るのになに使えばいい?
- B
- えっ?生のギンナンてよく乾かさないとダメなんじゃないの?
- 筆者
- もう乾かした
- B
- アタシはいつも電子レンジでやるよ、紙袋にいれて
- 筆者
- (紙袋?メンドい)……煎って食べたい
- B
- じゃ四角いの使って、コンロの脇にあるから
- 筆者
- えっ?卵焼くやつ?
- B
- そう
- 筆者
- (手を伸ばしかける)
- B
- あっ!待って待って、流しの下の一番奥に鉄のフライパンがあるから、ビニル袋に入ってる、それでやって
- 筆者
- えっ? あ、うん
フ〜…………
Bは、普段使いのフライパンにギンナンの何かに酷似した臭いが付くのをひたすら恐れているのだ(そういえば立川談志の戒名は立川雲黒斎家元勝手居士だったな)。
暗い流しの下にあったのは、今どき珍しいコーティングなしの使い古した鉄製フライパンだった。
当家自慢の骨董品と言ってもいい。
筆者としては、ただただ秋の恵みを美味しく食したいだけだ。
ガチ鉄のフライパンをコンロにかける、着火、ギンナン投入…………
…………もくもく煙が出て目が痛い。
なんだなんだなんだ、と思ったら鉄板にこびり付いてフライパンと一体化した古い油が焦げる油煙だった。
いくつもの難関を乗り越えて、抹茶色の輝きにもうすぐ対面できる。
食べてくださいと言わんばかりに鉄板の上を軽快な音をたてて転がるギンナン。
これぞ秋の恵み、ありがたい。
「あっあっ、換気扇止めないで!」
「あ、あい」
ビールを飲む前に、この短い会話があったのは言うまでもない。
おしまい