昨日の続きぞな。前田の殿様も所詮は一介の勤め人での。徳川社長の気を惹こうと自らの上屋敷に立派な庭と池を造ったが、結局志半ばで早死に(※1)してしもた。造営当初、池は育徳園心字池と命名され後には三四郎池(※2)と呼ばれるようになったのじゃ。
※1:三代藩主前田光高は、下戸だったにもかかわらず30の若さで倒れ急死した。※2:猫好きの文豪夏目漱石は、小説「三四郎」で主人公に池の周りを徘徊させた。
メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です
コメント
名前*
メール*
サイト
Save my name, email, and site URL in my browser for next time I post a comment.
Δ
このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください。