D・キーンさんの文章に励まされる

2日の朝から今日の午後まで自宅にいました。

 

現在、自宅には私が触れるパソコンはないので、この24時間は珍しくネットとは無縁の生活。

本当のオフですね。

 

話の順番が逆になりますが、もちろん正月ですから家人B、C、Dが総掛かりで作ったおせちと雑煮を食べ、酒を飲み、箱根駅伝を見、ゴロ寝をし、Dにお年玉をあげ、一応それらしいことをひと通りはやりました。

 

そして何より新聞をじっくり読みました。

一年ぶりくらいですかね、こんなに良く読んだのは。

 

自宅は朝日新聞です。

暇に任せて暮れから溜まっていたものに一気に目を通したなかで、特に印象的だったのが以下の3本の記事。

(1)12月31日朝刊「天声人語」
(2) 1月 1日朝刊「再考エネルギー(哲学者梅原猛さん)」
(3) 1月 1日朝刊「新潮社広告(ドナルド・キーン著作集)」

 

特に(3)の広告に添えられたキーン氏の文章には、とても励まされたので引用して紹介します。

【日本人よ、勇気をもちましょう】ドナルド・キーン
 かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的ではないか」。
 日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。
 長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。
 昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。
 しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁(つよ)さ」というものを、心にしみて知っているからです。昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと私は思っています。なぜなら、日本人は勁いからです。
 私は今年六月で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日、勉強を続けています。
 勁健(けいけん)なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、強く歩を運び続けようでありませんか。
(2012年1月1日付け朝日新聞朝刊掲載の新潮社広告より)

 

「勁さ」 「勁健」

漢字の使い方にも最上級の教養と品性を感じます。

 

インターネットからの情報もそれなりに役に立つけど、活字のメディアとバランスよく係わって行くことが大事かな、と思った正月でした。

 

 

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