メールのありがたさ

日々流転的備忘録

父が使っている旧世代の携帯端末機が、電波帯の再編によりこの7月以降、使えなくなるという知らせがauから届きました。

機種変更の必要性を説明するときに(わしゃ、このケータイしか使えん!)という突き崩しがたい抵抗を恐れましたが、逆に「薄いのにしてくれ」とか「年寄りだから色はシルバーかな」と予想外のコメントを返され、中途半端な懸念は見事に杞憂と終わりました。

耳のほとんど聞こえない父との通信に、携帯メールが使えることの安心感は大きいものがあります。はとが豆をつつくようなポッツリポッツリの打鍵ではありますが、一応意味の分かるメールが届きますからね。ときには育てている花の写メールまで寄越します。

メールといえば、この夕方に上海在住の知人に送ったメールの返信が先ほど届きました。隣国中国とはいえ東シナ海を挟んで1100マイル、東京から約1800kmの遠隔地であることを考えれば、ほとんど瞬間的なコミュニケーションと言っても良いでしょう。

このブログの初回投稿に(子供の頃、21世紀の車は空を飛ぶと思っていた)と書きました。この世の中、メールやウェブが使えることをありがたいと思う反面、原油流出事故などのニュースを見ると(何か急ぎすぎてはいないか)とか(分をわきまえているのだろうか)などとコンサバな気持ちが湧くのは、自分が年をとった証拠でしょう。

前向きな父を見習わなくては、と少しだけ思いました。

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