最近読んだ本_2019/07

東京は、去年より1ヶ月遅れて昨日梅雨が明けました。

さっそくガンガン暑いいつもの夏がやって来ましたが、考えてみれば来年の今頃はオリンピックTokyo2020の真っ最中なんですよ。

「熱中症に注意!」とテレビは盛んに言っているけど、屋外競技の選手諸氏は国の威信と名誉を背負って戦うんだから熱中症どころじゃありません。

誰だ!こんな時期の日本で世界一大きいスポーツ大会を企画したのは。

・・・って、夏の高校野球大会に多くの人が熱を上げる日本国が手を上げたんだから仕方ありませんがね。

 

さて7月は4冊。
どうぞクーラーを効かせて心安らかにお目通しください(汗)。

 

荻原浩「花のさくら通り (集英社文庫)」★★★★★ 
三枚の舌を持つと言われる石井社長の下で、コピーライターの杉山、村崎、猪熊の三人が奮闘するユニバーサル広告社シリーズの三作目。
「オロロ畑でつかまえて」、「なかよし小鳩組」に続く本作で、とうとう都内の端っこの寂れた商店街に都落ち、もとい、引っ越したユニバーサル広告社だが、広告業界でもかなり個性的な4人は、古き良き時代の影を引きずるさくら通り商店街の封建的な村社会では完璧な異分子だった。
そんな中で杉山たちは、放火騒動から始まる有志の夜回り、祭りの企画とそれを巡る保守的な老人世代と若い世代の対立などに広告業界のノウハウを持って関わるうちに、桜並木の伐採と共にかつての輝きを失った商店街に再び賑わいを取り戻したいという一部の店主たちの思いに少しずつ火を着けて行く。 
今年の祭りは人を集められるのか、寺の跡取り光照と教会の娘初音の恋の行方、商店街の復興策、そして離婚のため離れて暮らす小3のサッカー娘早苗と杉山の交流などなどに引き込まれながら、540ページの分厚い文庫本をアッという間に読んだ。 
キャラが立っている。このシリーズに限らずいつも思うのは、著者の人物造形の上手さだ。今回は、前2作では抑えめだった長身のパンクロッカー村崎(社員なんだが)に実はパートナーが居るやに最後の最後で語られる。
読者的には、ユニバーサルと店主たちが力と気持ちを合わせて作りあげた商店街のPVと併せて衝撃的かつ後を引くラストだった。 
ユニバーサルの次の仕事は? 
村崎と村崎亜紀の関係は? 
杉山は、1年間会わなかった間に「小さな子どもから、少女に変わっていた」まな娘とこの先どう向き合って行く?? 
早くしないと早苗は遠くに行っちゃうぞ、杉山! 
・・・あぁ、第4作が待ち遠しい。 

 

向谷匡史「親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら」★★★★☆ 
お浄土から娑婆に戻ってきた浄土真宗の開祖親鸞が、組の事務所に禿頭、作務衣で突然乗り込んできて組長に説法を始める。 
厄介に思った組長は大阪弁丸出しで「われ、なんぼのもんじゃ!」と鋭くツッ込むが、少しもひるまない親鸞が標準語(?)で懇切丁寧に説く浄土真宗の真髄に次第に引き込まれ、長年信頼していた若頭の造反さえも達観してやり過ごせるまで感化される。 
「年も年やし・・・」と過去を振り返り始めた組長は、自らの行く末に何を見つけるのか。
ヤクザ稼業一筋こわもての組長と、生真面目で当然ながらどこか浮世離れしている親鸞の対比がよい。標準語で淡々と教えを説く親鸞にヤクザらしく大阪弁で合いの手や時には恫喝を入れる組長。大阪弁同士でも標準語同士でも成り立たないこのやり取りが本書一番の持ち味だ。
南無阿弥陀仏の念仏に重きを置く浄土真宗の教義に共感したことはないが、他力と自力にそんな深い意味があったのか・・・、と一瞬でも思えたことに本書を手に取った意味があった。 

 

宮下奈都「羊と鋼の森 (文春文庫)」★★★★☆ 
高校生のときに偶然、ピアノ調律師と出会い心を打たれた外村は、卒業と同時にその道を目指すべく専門学校に通い始め、次第にピアノの音色の深い森、果てがあるのかも分からない森に分け入って行く。 
ピアノを愛する先輩調律師や双子の姉妹と交流しながら、外村は自分の才能を自覚し成長を掴み取って、ピアニストから尊ばれる調律師という高みを目指せるのか。 
著者は、調律によって微妙に変化するピアノの音色と紡ぎ出される音の世界を森に例える。本書で始めて著者の小説に触れたが、繊細でナイーブな内面を持ち、それを平易な言葉で素直に文章に表せる類稀な人、そう思った。 
才能と努力の狭間で揺れ動く外村は、自身の投影なのではないか。聴衆は読者、調律師は作家、演奏は執筆、奏でられる音楽は作品。私にはそう思えた。 
言葉の深み、小説の深み、そして可能性をしみじみ感じさせられた直木賞候補、本屋大賞受賞作だった。 

 

原田マハ「生きるぼくら (徳間文庫)」★★★☆☆ 
高校時代に陰湿ないじめに会い、ぎりぎりまで追い詰められた末に引きこもった純平は、二人暮らししていた母親にも捨てられとうとう独りぼっちに。 
残されていた年賀状のおばあちゃんを頼って蓼科を目指した純平の人生は、駅前食堂の志乃さんに出会ったところから大きく前に進み始める。 
訪ねて行ったおばあちゃんの家に居た座敷わらしみたいな「つぼみ」とは何者なのか。おばあちゃんの米作りを引き継ごうと奮闘する純平は、蓼科の温かい人々から何を学び、何を掴み取るのか・・・
誰がなんと言っても良い話に違いない。 
蓼科で純平が徐々に成長する過程で生きる喜びを見出し、伴侶を得んとする流れは確かに感動的だし、介護が必要になったおばあちゃんの容体や行動にははらはらさせられるし、中盤で明らかにされる題名の意味も米作りに絡んでいて味わい深い。
良い話には違いないんだが、捻くれ者の私には話がきれい過ぎて先が読めちゃって、途中から妙に白けてしまった。
著者の持ち味が強く出すぎたところにマイナス2星。
マハさん、嫌いじゃないんだが、しばらく間を開けたほうがよさそうだ。 

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