結局、毎日を一生懸命に生きるしかないということ

長考の末、妙なタイトルを付けてしまいました。

 突然ですが、筆者の連れ合いである家人Bとは、私が28歳、Bが25歳のときに出会いました(既に遠い目)。

 きっかけは職場の同僚の誘いでありまして、「きれいなオネーサン達と知り合いになったから、今度の飲み会にあんたも来る?」と声を掛けられ、表面上は「付き合ってやってもいい」、心の内では(はふはふ、いくいく!)ってなもんで、新宿は歌舞伎町の居酒屋の喧噪の中で初めて顔を合わせ、そしてそれをきっかけに互いを強く意識し始めたと記憶しています。

・・・中略。

 そして、約1年後には籍を入れて式を挙げ、その4年後には4人家族となり、二度の引っ越しやその他いろいろなことがあった後、幸い大きな病気や事故に遭うこともなく(中くらいのはあった)無事29年後の現在に至る、といった感じです。

 それにしても、あれから30年近くも経つのかぁ~。まさに光陰矢の如しですな(汗)。

 前置きはさて置いて、なぜ私がBに惚れ、なぜ今でも結婚生活が続いているのかを考えてみると、それは彼女が「私に足りないものをたくさん持っている」ことに尽きるような気がします。

それらを挙げてみると・・・、

  1. 誰とでも親しく接することのできる社交性
  2. 細かいことにこだわらない大らかさ
  3. 人間らしい感情の起伏
  4. 服装、インテリアなどに関するセンス
  5. 家事に関する無限とも思えるアイデアと実行力
  6. 私の価値観にマッチした知性と物的特性

裏を返せば1~5が欠落しているのが、私ということになりますな(大汗)。

 良いところばかりを挙げましたが、マイナスポイントも当然あるにはある。でも、それを言うのは野暮というもの。「◯◯だってあるさ、人間だもの(あいだみつお)」、お互いにね、ということでしょう。

閑話休題。
 今更、何を血迷って恥ずかしげも無くこんな話を書くかというと、最近、ふとBとの今生の別れのこと考えてしまうことがあるからです。

 あまり想像したくはありませんが、もしBが先に逝き私が後に残されたような場合、いったいどんな気持ち、感情が湧くのでしょう。若い頃は、そんなこと考えもしませんでした。

 最近、90歳の父を見ていてつくづく思います。長年連れ添った相方が居なくなってさぞ寂しかろうと。

 年をとると親はもちろん兄弟ほかの親戚、周囲の顔見知り、同年代の芸人や有名人などが次第に鬼籍に入って行きます。次いで子供や若い人とも話が合わなくなり、テレビなどから入ってくる世間の情報にもだんだんとついて行けないようになり、また自分に残された時間も刻々と少なくなる。

 ただでさえ寂しさを大鍋で煮詰めたような状態のところに、ほぼ同じ価値観で互いを許しあえる存在がいなくなったとしたら・・・。

あ”〜、考えるだに恐ろしや〜。

 でも、それって考えてもしょうがないことなんですよね。自分の力で変えられることではないし、いつ起こることなのかも分かりません。結局、いくら考えても誰かに相談しても解決策はないのです。当たり前ですが。

・・・なのであまり考えないようにして、少なくともBにはそういった気持を味あわせることのないように今の日々を一生懸命に生きる、ということを本日の結論としたいと思います。

駄文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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