四国八十八ヶ所札所巡り_第7回(所感編)

(だいぶ間が開いてしまいましたが)この旧盆休みに四国お遍路、7回目の区切り打ちに行ってきました。一年中で一番暑い時期にもかかわらず、予定したコースを周って途中体調を崩すこともなく無事に帰ってくることができてホッとしています。

 今回もいろいろな方との出会いがあり、たくさんの出来事がありました。ここには、いつもより1日増やした中5日の行程中に感じたこと、考えたことなどを出発準備も含めてまとめてみます。

 

なお、周った寺や行程の詳細はデータ編をご覧ください。また、写真編には、道中で撮った入魂の(?)写真62枚をアップしました。そちらの方でもお遍路の雰囲気、盛夏の熱を感じていただけると思います。

今回の出発点、渋谷マークシティ高速バス待合所 (乗り物ニュースhttps://trafficnews.jpより)
※この写真のココロは、(11)をご参照ください。

 

(1) 思い切って中5日の行程にしたわけ

 

  • 前回の区切り打ち6回目で58番まで進み、残りは30寺。それは、「も」であり「しか」でもあった。
  • 今回の行程を計画するに当たり、まだ30寺も残っているので、(あと何回行かなきゃいけないんだ?)とまずは考えた。
  • 疑問を解消するためいつもより細かな日程表を作った結果、一日増やして中5日にすれば75番までの17寺を周れることが確認できた。次回88番までは残り13寺となり中4日あれば大丈夫。それが残った行程を3回ではなく2回の区切り打ちで周る決断をした理由である。
  • その過程で体力面(だんだん体力、脚力が低下する不安)、費用面(3回より2回のほうが割安と計算する欲)ほか諸々が頭をよぎり、いまだ煩悩が絶えていないことに気付く。
  • 併せて、周れる寺があとわずか30寺しかないこともひしひしと感じ、名残惜しくさびしい気持ちが湧いてきて、諸行無常と達観しきれていない己に落胆する。
  • …と、まぁいろいろ考えはしたが、下手の考え休むに似たり。細か過ぎる日程表がまとまったときは、内心(やったぁ、完璧じゃん!)と行くもやる気もマンマンになったことは記しておきたい。

細かすぎる日程表(©️筆者)

 

 

 

(2) 33~4℃晴天の中を連日歩く無謀

 

  • 正味5日間の行程中、雨は一度も降らず連日晴天、気温は最高33~4℃。自慢するわけではないが、そんな陽気の中を毎日18~19km歩いた。
  • とにかくすごい量の汗をかくので、水分、塩分、ミネラル分の補給は命綱。毎日ペットボトルの麦茶を4~5本飲み、携行した「ウイダーinタブレット塩分プラス(森永)」と「乾燥梅干スッパイマン(上間菓子店)」もかなりの量を消費した。
  • 対策が功を奏したのか元々暑さに強い体質なのか、何事もなく無事に行程約90kmを歩き通せた。これには自分でも驚いたし、諸々の幸運には感謝すべきだろう。
  • もっとも行き会う地元の方からは、「この時期に歩き遍路する人は珍しい」との賞賛とも開いた口が塞がらないとも取れるコメントを何度かいただいた。
  • 「あの人、お遍路中に旅立っちゃったよ」みたいなことにならずホッとしているのも正直なところだ。

 

 

 

(3) 声をかけてくださる地元の皆さん

 

  • 愛媛県と香川県を半分半分くらいのコースだったが、今回もいろいろなところで地元の方が声を掛けてくださった。
  • 話しかけていただいたり、すれ違いざま会釈してくださるのは概して年配の方である。だから「ふれあいタイム」は、午前中の早い時間や夕方が多い。この時期でも散歩に適した時間帯なのだ。
  • 中には、わざわざ自転車で次の寺に先回りして、参拝中の荷物番をしてくださった方もいて恐縮した。これもまたお遍路の醍醐味。ありがたいことである。

 

 

 

(4) 神社会館の風呂は中止、歩いて温泉へ

 

  • 一日目の宿泊は、石鎚神社会館だった。宿泊客は、筆者のほかに3人家族が一組だけ。そのためか、フロントで「今夜はボイラーが止まっているので、入浴は徒歩20分の湯之谷温泉へどうぞ」とセット券を渡された。
  • (まだ暑いし疲れてるし…)と思案していると、「帰宅するので、よろしければ車に同乗しませんか」と受付の方が好意で送ってくださった。
  • とても湯質の良い温泉でゆっくり浸かりたかったが、夕食は20時までと聞いていたので慌しく宿に戻る。帰路はもちろん徒歩。
  • 昼間の汗はきれいに流せたが、西国愛媛の日は長い。熱気冷めやらぬ夕暮れの舗装道路を歩くこと20分で再び汗だくに。夕食のビールは格別旨かった。

石鎚山神社の神社会館(宿泊できます)

 

(5) 霊場会を脱退した62番の実態やいかに

 

  • 62番宝寿寺が霊場会を退会していることは知っていた。
  • ひとつ手前の61番香園寺では、納経所を訪れる巡礼者に対し62番の行状と応対がよろしくないことをあからさまにアナウンスしていた。駐車場には62番を訪れなくても仮の参拝と納経が済ませられるよう無味乾燥な仮設ハウスまで設えている。
  • どうにも気になって駅に戻る途中、62番に寄ってみた。
  • 国道11号脇のこぢんまりとした寺で、トラックの騒音がまともに入ってくるのは仕方ないにしても、たまたまなのか参拝者は皆無で寂しい限り。行くと嫌な思いをするとも聴いていたので、少し様子を伺っただけで早々に退散した。
  • 仏教を修める場、空海の拓いた修行の場にそぐわない現実に釈然としなかったが、若輩は眉間に皺を寄せることしか出来なかった。

62番宝寿寺(参拝者には、行き合わなかった)

 

 

 

(6) 横峰寺参拝バスの華麗な運転

 

  • お遍路中2番目の標高(745m)に位置する60番横峰寺には、不定期運行のマイクロバスで上った。せとうちバスの一路線で、運転手はみな定年後とお見受けする高齢の男性だ。
  • 筆者が乗った便も「おっちゃん」より「じーちゃん」の方がしっくり来るドライバーさんだったが、あにはからんや運転は実に達者で、つづら折れの急坂を巧みなハンドルさばきとシフトワークでブイブイ駆け上がる。
  • たった一人の乗客(筆者)は、目の前の手すりを両手で握り締め、ひたすら足を踏ん張った。車内は冷房が効いていたが、脇汗をたっぷりかいたのは言うまでもない。

横峰寺参拝登山バス(閑散期なのか、乗客は筆者一人)

 

 

 

(7) お遍路に来てアコギ&歌を納める人

 

  • 静寂の横峰寺で納経帳にご朱印をいただいていると、場の雰囲気にそぐわないアコギの音色が聞こえてきてギョッとした。達筆の和尚さん曰く「お経ならぬ歌を納めに来られた方です」と。
  • なんでも紅白歌合戦出場を目差しているのだとか。
  • 志の高さと並々ならぬ信心の深さに、彼の大願が成就することを願わずにはいられなかった。

 

 

 

(8) 真夏の太陽を浴びて汗をかきマメをつくる

 

  • 地元の方が言うとおり、今回は、歩き遍路の方をほとんど見かけなかった。やはり、メチャメチャ暑いこの時期は、冷房の効いた室内が一番・・・、などとブツりながらひたすら歩き、坂を上り、そして下る。
  • 65番三角寺への上り約3kmではマジでバて、71番弥谷寺の540段の階段では(なんでこんな高いところに…)と悪態をつき、60番横峰寺から8kmに渡る林道の下りでは踵に大きなマメを作った。
  • 一番きつかったのは横峰寺ロープウェイ駅から67番大興寺へのアップダウンが連続する7.3kmで、到着後は境内のベンチにへたり込んでしばらく動けなかった。
  • 1ヵ月後にこれを書いているが、苦しかった道のりほど鮮明に思い出す。でも、いつかはそれもモノクロになり、やがてはセピア色の思い出となって心のひだの奥にしまい込まれてしまうのだろう。

この道は、どこへ続いていたのか…

 

 

 

(9) 休憩所のおっちゃん、お世話になりました

 

  • 愛媛県最後の寺となる三角寺の上りで苦労した分はどこかで取り戻すということで、上り口のバス停までの下り3km+αを歩いた(どういう理屈だ)。
  • ちょうど昼近くになり、食事処を求めてキョロキョロするが気配もない。ふと視線を前方に戻すと、「お遍路さん休憩所」の幟の前で地元ネイティブっぽいジャージ姿のおっちゃんが笑顔でおいでおいでしている。
  •  一休みしたい頃合だったので、ご好意に甘えて休憩小屋の前の日陰で冷たいお茶をご馳走になることにした。
  • 当然、「どこから来んさった?」から世間話が始まり結構話が弾む。そして、話の流れから食べ物の話題になり「よしゃ、うまいうどん食いに行こ!」ということになり、10分後にはおっちゃんの愛車ホンダフィットの車上人となっていた。
  • 車中でもなんだかんだ話をしながら結局、愛媛~香川の県境を越え片道20km以上の距離を途中観光案内っぽく迂回したり、一押しのセルフ店で肉うどんをご馳走になったりしながら、次の68番神恵院近くまで送っていただいた。
  • お茶だけで席を立とうと思い車は固辞したのだけど、「気にせんでえーけー、暇やけー」とのお言葉につい甘えてしまった。話の途中、仕事の癖でつい繰り出した「四国のうどんは最高。讃岐も良いが愛媛も大穴ですよね!」とのヨイショもあとになって反省した(汗)。
  • 聞けば、元々は製紙会社のサラリーマンだそうな。定年退職後は地元の世話役や孫の面倒で明け暮れ、「カラオケは若い頃に練習が足らんかったので苦手だがゴルフは好きでよーしとる」等々、日々お元気に過ごされている様子をにこやかに語ってくださった。
  • 最後は、目的地近くの渋滞の中で慌しくお別れしフィットを見送ったが、お名前を伺わなかったことに気付いて悔やんだ。苦労した分を取り戻すどころか余りあるご好意、お接待をいただいて深く感謝している。
  • 改めまして、そして敬意を込めまして、おっちゃんに厚くお礼申し上げます。暑い中お世話になり、そのうえご馳走までしていただき、ありがとうございました。

遍路道では、このような休憩所に救われる。

 

 

 

(10) 薄暗い竹やぶを抜けるとそこは…

 

  • 71番弥谷寺から72番曼荼羅寺への4.5kmの途中に竹やぶの中を行く遍路道がある。
  • トラックの排ガスを吸いながら舗装道路を歩くより、古来からの遍路道を行くほうが巡礼らしく厳かな気持ちになるし、だいいち静かでよろしい。……が、見通しの効かない薄暗い竹やぶの中を歩いていると、だんだん不安になってくるのだ。
  • サワサワという暗騒音に混じって風で揺れる古竹だろうか、あちこちからカーン、コーンと陰にこもった音が聞こえてくる。足元は竹の落ち葉でフワフワで、曲がりくねった遍路道は先が見通せない。
  • そこを抜けた先は、ひょっとして二本差しの侍や駕籠が行き交う街道だろうか……
  • ……と、しばらくすると明るく開けたところに出た。そこには「曼荼羅寺2km→」の道標が。
  • ホッとしてスマホで顔を見ると、シワが増え頭が真っ白になっていた、……なんてことはない(伊坂幸太郎風に)。

先の見えない竹やぶの遍路道

 

 

 

(11) 渋谷マークシティの高速バス待合所はべらぼーに狭い

 

  • 最後に持ってくるのは気がひける話だが……
  • 四国お遍路の往復には毎回夜行バスを使っている。3列独立シートでも狭くて辛いが、新幹線の片道分の費用で往復できるメリットは大きい。
  • 今回は、初めて渋谷マークシティの出発便だったが、待合室が悲劇的に狭いことを指摘したい。
  • 調べてみると2017年に床面積が3倍、着席定員も2倍に改装されたようだ。筆者が入った夜行便の出発時間帯には、大きな荷物を持った人々で立錐の余地もなかった(改装前の混雑は、想像に難くない)。
  • 仕方なくバス通路を挟んだ向かい側のオフィスビルのロビーで待機していると、係りの人が「バス待ちの方は、待合室に居てください!」と呼びかけに来た。(毎日言わせるな!!)のオーラは、乗り遅れる人が多いからだろう。
  • 面積単価の高い都内だから簡単に広げられないのは分かるが、外の歩行者通路に屋根を掛けるなり、案内放送の届く範囲を広げるなり工夫の余地はあると思った。
  • マークシティの近代的な建物と施設にそぐわないブチ狭い待合室。外国からのお客様に「日本文化は素晴らしい!、バス待合所も枯山水だ」などと言わせたいのか。

 

 

以上、7回目の区切り打ち、59番国分寺から75番善通寺まで17寺を周っての所感でした。

次回はいよいよ誰がなんと言っても、どう転んでも最終回。88番大窪寺まで進んで結願し、最後は1番霊山寺に戻ってお礼参りしようと目論んでいます。

その先には、弘法大師への結願報告と謝意表明として高野山への本当のお礼参りが控えていますが、まずは四国お遍路を無事に終えるのが最優先です。

本稿の最後に、今までも何度か書いてきた個人的な「お遍路のコンセプト」を戒めの意味で改めて記して本稿の締めといたします。

  1. 感謝
  2. 出会い
  3. 緊張感
  4. 初心回帰

 

それでは、

(御宝号)南無大師遍照金剛
(普回向)願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道

…ということで、ありがとうございました。

 

 

 

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