東京では、ソメイヨシノが散ったあともコートが手放せない肌寒い日が続きました。
先週後半からようやく暖かい日が多くなって、(あ〜、良い季節だな)と心安らいでおります。
一方、進行中の実家解体とその事後処理が気になって、どうも本を開く気になりません。
3月は2冊に留まりました。
- 遠田潤子「雪の鉄樹 (光文社文庫)」★★☆☆☆
- 律儀で人の良い造園職人の雅雪。十三年前のある出来事の贖罪のためひたすら自己を封印して両親のいない少年遼平の面倒を見続ける。雅雪は、何を待ち続けているのか、生きる希望を取り戻すことはできるのか。
- 率直な感想は、「そこまで自分を殺すこたぁないだろ」である。雅雪が○○を○○になったことが発端だから、そりゃぁ責任の一端はあるかもしれないが、自虐、自己陶酔、自己満足も行き過ぎれば引いてしまうのが人情である。
- 最後まで不自然さが鼻につき、小説としての迫力と読ませる力があるだけに残念に感じた。
- 島田裕巳「AIを信じるか、神を信じるか (祥伝社新書)」★★☆☆☆
- 人間にとってAIはどんな存在なのか、神と同等かそれを超えた存在になり得るのか、的な話を期待したので肩すかし感ムンムンだった。
- 参考になったのは、著者が示す「AIは、結論に至る過程を説明しない」という説。AIは、最適解は提示しても、そこに至る過程、囲碁や将棋で言う棋譜のようなものは示せないというのだ。
- その根拠が語られていないので受売りは居酒屋だけにしておくが、もしそれが本当なら、途轍もなく頼りない機械が発達、普及ししつつあるということではないのか。
- AIに対するモヤモヤが一層深まった(ちなみに、そうしたBlackbox型AIに対してWhitebox型AIも開発が進み、すでに事業化されているらしい)。