思い出深い岐阜で鵜飼を見てから犬山の明治村へ

最近、私生活上のモットーとしていることがありましてね。それは・・・、

 ◆行きたいところに行き
 ◆会いたい人と会い
 ◆食べたいものを食べる

 そんなことを考えるようになったのは、定年を過ぎて残り時間が少なくなったせいでしょう。特に気にかかるのは健康寿命ですから、自力での移動が可能なうちに財布の許す範囲で実行しようじゃないかと考えている次第です(汗)。

 

 ・・・ということで、先週末は職場の有休を使って旧友のW氏と岐阜県岐阜市~愛知県犬山市を旅行してきました。W氏は、前の職場での”戦友”と言っても良い人で、今でもたまに飲みに行く仲です。

 今回は、そんなW氏と共に戦った、もとい共に机を並べて頑張った仕事の痕跡をトレースする旅になりました。

 

1 平成元年ごろに係わった某物件

・かつて担当した岐阜市内の某建物である。39年の現役生活のうちでベストスリーに入る思い出深い仕事だ。

・そいつは延べ約10,000㎡の事務所ビルで、新築工事の現地調査、行政折衝、設備設計、工事費積算、現場管理をほぼ一人で担当した。

・今では考えられないが、当時の職場ではほぼ全ての業務がインハウスで行なわれていた。PC、Excel、CADなども今ほどは普及しておらず、ほとんどの作業を製図版と電卓と鉛筆でこなしたのが懐かしい。

・その頃は30代半ばで体力はあったが、仕事のプレッシャーから一時期精神的に煮詰まったのを生々しく覚えている。その後、仕事で怖いものが無くなったのは、たぶんその時に地獄を見たからだろう。

・一人担当とは言え周囲の方々に助けてもらいながら職分を果たすことができ、成果である建物が現在も丁寧に使用され、その姿を久しぶりに目の当たりにすることができた。なんと幸せなことか。

2 長良川の鵜飼い

・1300年以上の歴史がある日本の伝統行事。観るのは2度目になる。鵜飼い自体は各地で行われているが、鵜匠さんが国家公務員なのは長良川だけらしい。

・観覧船の出航は18:15、鵜飼いの開始は19:45。その間は、船上でのお食事タイムである。旅館の仕出しあり、持ち込み弁当あり、乗合船の上で知らぬ同士がショータイムを前に盛り上がる。

・日が落ちてしばらくすると、かがり火を焚いた鵜舟が川上から静かに現れる。よくよく目を凝らすと船上はまさに戦場だった。

・かがり火に集まる魚。鵜は素早く潜り鮎やらを鵜呑みにして水面に上がってくる。鵜匠さんは手縄(たなわ)で鵜らを忙しく操り漁果を上げる。無駄のない見事な動き。人と鳥の調和。

・幻想的とも言える伝統漁法を間近に観ながら、観覧船は鵜舟と相対して川を下る。動力を一切使わない漁は静かで美しい。鵜匠さんの生業と分かってはいてもその光景は胸に迫るものがあり、終盤の総がらみでは思わず手を叩いていた。

・「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」芭蕉

・漁が終わり鵜舟が去ったあとは、W氏とともに何故か寡黙になった。

3 博物館明治村にて

・若いころからの念願だった明治村の見学がようやく叶った。全国各地から集められた明治期の文化財級の建物、乗り物など全67物件が、起伏に富んだ5つのゾーンで公開されている、言わば明治建築のテーマパークだ(写真は、フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテル)。

・驚くべきは、バリエーションの豊富さとその保存状態の良さ。各建物が展示物としてよくメンテナンスされているのはもちろんだが、歴史的資料としての蒸気機関車や路面電車は屋外で動態保存され、自動織機などの貴重な産業機械も錆ひとつない状態で誰かが起動SWを入れるのを待っているかのように見える。

・経営は、名鉄グループだが、収支は赤字らしい。見学しながら思ったのは、本来、行政がやるべき仕事を民間が肩代わりしているのではないか、ということ。明治維新以降の日本の近代化を主として建物という切り口で見せると同時に、価値ある建造物を保存する博物館だ。エンタテイメントだけのテーマパークではない。太っ腹の名鉄におんぶに抱っこでいいのか。国がやらずして誰がやる!

・そんなことを考えながら広い村内を見て回ったら、あっという間に帰りの時間が迫ってきた。暑い日だったのでW氏とのビール休憩が長すぎたのかも(汗)。

・名古屋から小一時間かかる山の中という不利な立地ではあるが、これからは、少しでも建築に関心がある方には「必見!」、「時間とお金をかけて行くだけの価値あり!」と説明することにした。

 

 上記3カ所のほかに、岐阜市内は「岐阜大仏」、「GIFU MEDIA COSMOS」を観て、昼食は懐かしの老舗「更科」で久々に地元のソウルフード(らしき)「冷やしたぬき」を食べました。宿泊の「ドーミーイン岐阜駅前」も、温泉大浴場、夜泣きラーメンサービス、朝食ブッフェが花丸もので超お勧めです。

 それと、いま一つ書き留めておきたいのが、26年前の当時、施主側の番頭さんとして何くれとなく我々の世話を焼いてくれたKさんに偶然再会できたこと。Kさんも既に定年後の再雇用中ということで、皺は少し増えていたものの気さくな立ち振る舞いは当時とちっとも変っていませんでした(^^)。

 ①若かりし頃の足跡を訪ねる、②その後の岐阜を歩く、③明治村で歴史的建造物を観る、この3点で意思統一が図れて実現した今回の旅

 梅雨時にもかかわらず最高の天気に恵まれ、気の置けないW氏とリラックスした時間を過ごし、冒頭のモットーを忠実に実行できた2日間でした。

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