この年にしてラジオ体操をストイックに行う理由

6月から働き始めた職場に関連して、今回はラジオ体操の話です。

 新しい職場では、始業時刻のチャイムに続いて例の「第1」が流れ、事務室のほぼ全員が立ち上がって体操を始めます。最初は少し違和感がありましたが、今では筆者も周りの人達と一緒になって体操しているので、慣れてしまえばこれが正しい日本の職場の在り方か〜、ってなものでしょう。

 職場で朝に行うラジオ体操は、一日の始まりに身体をほぐし、且つオンモードに切り替えるには、ちょうど良い運動量とタイミングなのかもしれませんし、建築関係の職場ということもモチベーションの一つであると思います。何せ建築現場ではどこでも朝の体操と朝礼はMUSTですからね。

 さて、そのラジオ体操ですが、毎度毎度するたびに私は必ず出身中学校のある教師を思い出します。その方は、有名なエチオピアのマラソン選手、「裸足の哲人」と言われたアベベ・ビキラに少しイメージの似た色黒、痩身の体育の先生でした。仮名は、O先生としておきます。

 当時O先生は、私たち生徒の間で「オリンピック東京大会の体操選手に選ばれた過去を持つ」と噂されていました。東京大会と言っても1964年のそれではなく、戦争激化のため中止となった1940年の幻の大会のことですから、O先生の年齢や話の古さは知れましょう。

 先生の授業では球技などを教わった記憶は全くなく、もっぱら体操、何は無くても体操で、特にラジオ体操は、徹底して叩き込まれました。

 ピアノに合わせて正しく無駄なく身体と手足を動かし、ひたすらラジオ体操の基本である体力向上と健康増進を図る・・・、今思えばそれはO先生の生き方そのものだったような気がします。

もう少し詳しく説明した方が良いですね。

 結果として中止となった1940東京大会でしたが、アジア初のスポーツの祭典を前にして出場選手の育成、選抜は華々しく行われていました。

 O先生は、持ち前の運動能力から目出度く体操選手に内定、輝く未来を嘱望、期待されるも、その後不幸にも交通事故に遭遇、大きな怪我を負ったことから内定は取消され、挫折を紛らわすため酒に走り、お決まりの中毒に陥る。なんとか立ち直りはしたものの後遺症から体操の道は断念、紆余曲折の末体育教師に転身・・・。

生徒たちの噂話は、だいたいそんな筋書きでした。

 日常の動作にぎこちないところがある、授業中たまに口ごもる、酒臭いことがある、そして何より自らが醸し出す厭世的、求道的なオーラ・・・、それらが撚り合わされ、捻り出されたのが件のストーリーだったのかもしれません。

 噂の真偽については、今となっては確かめようもありませんが、服装は常に黒の上下、普段は決して笑顔を見せず、その一方、体操ではキビキビした切れのある動きを見せ、生徒たちには人としての道を説き、その口癖は「いけない!」でした。

 ちなみにそれは、フラットな発音ではなく、”山梨”のアクセントで「いけない」です。はい、ご一緒に!

・・・何がいけなかったのかは、全く思い出せないのですがねT_T。

 オホン、そんなアベベのような哲学者然としたO先生でしたが、中学卒業後は顔を会わせる機会もなく、記憶と卒業アルバムの中にその姿を留めるのみなので、改めてネットでアベベの画像を見ていたら、中学生の頃のことを思い出して少し泣けてきたりして。

 だから新職場でも毎朝ラジオ体操をするたびに、ストイックでちょっぴり寂しそうだったO先生の面影が脳裏をよぎるために、思わず足元がフラついたり、振りがいい加減になったりして、オットットいけないと。いつも気遣ってくれるYさんや紅一点のSさんに無様な姿を気付かれやしないかと。

 そんな複雑な、ある意味単純な内面をココロに秘めつつ、「腕を前から上げて背伸びの運動ォ~♪」の掛け声に合わせて、新人だけど顔中シミだらけのおじさんは毎朝、ラジオ体操第1をひたすらストイックにやっているのです。

オシマイ。

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