リオオリンピックから国境なき医師団へ

2016リオオリンピックが終わりましたね。

 今大会は、開幕当初から日本人選手が目覚ましい活躍を見せ、終盤の陸上400リレーでは、日本代表チームがアメリカに勝って初の銀メダルを獲得するという、下馬評を遥かに超えた華しい大団円で幕を閉じました。

 本稿では、テレビでそんな場面の数々を観ながら漠然と考え、これから実行しなくてはと思ったことを書いてみます。

 ちなみにスポーツに因んだ話ではなく、強いて言えば世界の代表が集まるスポーツの祭典らしく「オール人間」みたいな話です。

 

 まず第一に、かなり唐突ですが、世の中を大雑把に見まわして自分は平均よりかなり恵まれた境遇にある、と思ったわけです。

 この場合の「世の中」とは、日本だけではなくむしろ全世界あるいは全地球。「平均より」とは、自分が直接間接に知りえる範囲の現実に照らして。

 「恵まれた」とは、衣食住が満たされているほか、身体的精神的に差し迫った危機はなく、恐らくこの先死ぬまでその可能性も低いと考えられることを指します。

 冒頭で述べたとおり、かなり漠然とですが、どうやら自分はこのまま恵まれた一生、平穏無事な生涯を送れそうだなどと、オリンピックを観ながら競技とはほとんど関係ないことを考えていました。

 

 それに引き換え、世の中には「恵まれない」、言い換えれば衣食住すら満たされず、仮に満たされていても身体的、精神的に何らかの危機に晒されている又はそれらが差し迫っている、自分でなくても肉親や身近な人が然り、あるいはその状況に陥る可能性が高い人も世の中にはたくさんいるわけです。

 例を挙げれば、内戦や地域紛争で危険な目に遭う又は命を落とす、ハンディキャップを負う、故郷を追われ難民となる、権力者や暴力的な勢力から迫害を受ける、現実に怪我で臥せったり飢えたりしている等々、我々日本人が直接目の当りにすることは無くても、各メディアで毎日のように報道されるそのような現実が、世界を見渡せば悲しいかな至る所にあります。

 つまり、第二次世界大戦終結後の日本で生まれ育ち、そしておそらくこの地で人生の終焉を迎えるであろう私自身は、そういった現実とはほとんど無縁で幸せな一生を送れるわけで、謂わば「恵まれた者」のカテゴリーに居る一個人が「恵まれない者」たちを安全なところから俯瞰している、テレビを観ていてそんな気持ちになってしまったのです。

 

さて、自己満足(自己陶酔?)を承知で、あえて本稿の結論を言いましょう。

 人間の中で「恵まれた者」又は「持てる者」の範疇に居る人は、そうでない人たちを何らかの手段、方策で助ける「義務」があると私は考えます。

 

 人間は、他の動物と違って高度な社会性を持った生き物であり、それに加えて近代、現代では、遠くの物事をほぼリアルタイムで見聞きし、また、手元の物資や情報、言葉を瞬時に遠くに届ける技術と手段を獲得しました。

 自転車、自動車、船舶、航空機、ロケット然り、郵便、電信電話、テレビ・ラジオ、インターネット然りです。そう、すごい生き物なのです、人間は。

 言い換えれば、不幸な人、恵まれない人がたくさんいる一方で、全世界の状況をほぼリアルタイムかつ一定の精度で把握し、また、その気になればどんな品物、言葉、情報でも手に入れ、同様にそれらを望むところに届けられる手段を持つ恵まれた人もまた、沢山いるのです。

 世界中の人間の代表が集まっている場面を見たから、そんなことを考えたのでしょうか。

 

 話は飛びますが、私はたまたま10代から献血を続け、幸い親からもらった身体は健康そのものだったので、今日までに84回の献血を重ねることができました。それは、自分の身体を使って無意識のうちに、僅かながら前述の「義務」を果たしてきたものと考えられます。

 そしてこの度はオリンピックを観ながら、同じく「義務」を果たすためにそろそろお金を使えるようになった、又は使うべき時が来たと思うに至りました。

 

 そんな時期に偶然私の目に入ったのが「国境なき医師団」です。三軒茶屋の街頭で偶然声をかけられ、彼らの活動について説明を聞きました。

 人種、宗教、思想、信条、政治的な関わりに捕らわれることなく、また代償を求めることもなく、病気の人、困っている人、助けを求める人がいれば、地球上の何処にでも医療や援助を届けようとする団体。

 これは、正に究極的に人間らしい行動をする団体と言えないでしょうか。

 先ほど言ったように、人間とは高度な社会性を持った存在です。すなわち他の動物には真似できない高機能な社会を作り、自発的な互助活動で個々の人間とその人間性を保護し、長期に亘って自らの幸福と繁栄を維持しよう生き物です(このあたり、Yahoo知恵袋のこの話に影響を受けている)。

 すなわち、困った人を助けることで人類全体の幸せと繁栄につなげるという、正に人間の根源的な行為の最先端を行っているのが「国境なき医師団」だと感じたのです。

 回りくどくなりましたが、先ほどの結論を献血に次いで具現化する手段として私は、ほんのわずかな金額を国境なき医師団に継続的に寄付することにしました。

「千里の道も一歩から」
「まず隗より始めよ」

 私にとってリオオリンピックは、先の結論を形にする一つの引き金になったようです(自己満足だけど、やらないよりやった方がいいよねってことで)。

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