時間は誰にでも平等に経過する

クラス会の話。
本日は、中学校の同窓会があった。

 昭和46年に卒業した齢60歳、61歳になるかつての少年、少女が100名ほど、母校近くのホテルに集まってそれは盛り上がった。

 私めは昨年のそれに出席できなかったので、実に45年ぶりに顔を合わせる人がほとんどだった。

でも互いに顔を見て、名札を見て「ア~ア〜!」、「オ~オ〜!」で、
It’s OK!、Take it easy!

不思議なものである。なんなのだろう、あの感覚は。
◆その昔の多感な時代に
◆同じ時を過ごし、同じ経験をして
◆その後、同じ長さの時を過ごして互いに老けた

・・・という前提。
最初からバリヤが外れているのだと思う。
会った途端に打ち解けちゃうのである。
気の許せる仲間なのである。

なので、すぐに昔話が始まる。
心の奥底が疼き始める。
火鉢の灰をかき回したのは、誰かの母親だったか・・・

 

一方、時間は冷徹なまでに誰にとっても同じく平等に経過していた。
それぞれの45年を過ごしていた。

◆外見が変わった人、変わらない人
◆誰だかわからない人
◆二足歩行と決別した人
◆既に亡くなった人・・・

でも、それぞれに与えられた時間の中で皆、間違えなく一生懸命に生きて来た。これから先も一生懸命に生きて行くのだろう。
・・・たぶん私も。

○○さんは、ずいぶん貫禄ついてたな。
○○さんは、変わらずの美しさだった。
○○くんは、現役バリバリだな。
○○ちゃん、相変わらず可愛かった。

何はともあれ、
幹事さん、皆さん、ありがとうございました。
とても楽しかった。
元気で、また会いましょう!

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