この8月は、コロナのおかげでなんとも気の抜けた一ヶ月でした。
まず、Tokyo2020開催延期の抜け殻感を皮切りに、
- 夏祭りや花火大会まで軒並み中止されて更に気が抜け、
- 経済停滞を恐れる政府が打った例のGoToキャンペーンは、
- アクセルとブレーキの両方を踏んでると四方八方から揶揄され、
- おまけに土壇場で東京都民を対象外にして賛否両論が盛り上がり、
- 個人的には、四国お遍路の最終回を泣く泣くキャンセルしたりして、
世の中全体が、どうしようもなくグダグダになっちゃった。
オホン、その一方で、
- コロナ禍が全国的に第二波っぽく続く中、
- 巷には、さらに諦めや厭世感が蔓延するのかと思いきや、
- (気にしてばかりいられないしイ…)と反骨心の芽生えが感じられ、
- 未知のウイルスに関しても産官学医の知見が積み上がるとともに、
- 一般大衆もそろそろ被マウント状態を脱しつつあるのではないかと、
状況のパラダイムシフトを期待し、楽観的な想像を勝手に膨らませる猛暑炎暑の今日この頃。
・・・・・・とまぁそんな8月でした(あくまで個人の感想です)。
読書的には冊数は行かなかったけど充実していました。
伊坂幸太郎「マリアビートル (角川文庫)」★★★★★+★
前作グラスホッパーと同じくたくさんの業者(殺し屋)が登場する三部作の第二話だ。
話の90%は東北新幹線の車中で進行する。
主役はいちおう徹底してツキのない業者の七尾、業界名天道虫だが、同じ列車に乗り合わせた複数の個性的な業者が並列して緊張感あふれるバトルを展開する。
発端はその筋の大物峰岸からの依頼だ。誘拐犯から俺の息子を救い出し、身代金の入ったトランクと一緒に盛岡まで運んでこいというのだ。
東京駅を出たはやてには、いつもコンビで仕事をする蜜柑と檸檬が件の息子とトランクと共に乗っていた。ところが上野駅に着く前にトランクは行方不明になり、息子も早々と死んでしまう。
序盤から滅茶苦茶だ。
その後、トランクを奪取して上野駅で降りるはずがどこまで行っても下車できない七尾のほか、サイコパスっぽい中学生の王子、グラスホッパーに出てきた塾講師の鈴木、しまいには往年のベテラン業者が復活して乗り込んできたり、本当に読み手が目を回すほどいろいろあったのち、はやては盛岡駅のホームに入る。
そのとき車内は、いったいどうなっていたのか…
ホームに出迎えに来た峰岸は、どんな状況に直面することになるのか…
伊坂幸太郎の作品には、たいがい翻訳ものの匂いがするが、本作はそれに加えてSF小説並みのセンス・オブ・ワンダーを味あわせてくれる。
会話だけで進行する箇所も多く、洒落た会話がサスペンスの緊迫感を和らげるのでどんどん読み進むことができる。
中でも常に安全な場所から指示を送る真莉亜と七尾のとぼけたやりとりがこの作品の一つの肝だろう。
また、各々の業者は辣腕のプロながらどこか愛嬌があって憎めない。
一方、業者ではない中学生の王子は、まるで歩く悪意のような空恐ろしいキャラクターだ。スピンオフがあったとしても彼の分だけは避けて通るかも。
エンタメ作品なのでテーマ性云々を言うのは野暮だが、作者が作品に込めたものを受け取ろうがスルーしようが、(どうぞお好きなように…)という気易さ、押しつけのなさがこの作家の魅力のように思える。
そうかといって何度も直木賞候補になっているので侮れないし、第三話のAXもどんな滅茶苦茶な展開で楽しませてくれるか楽しみだ。
伊坂幸太郎「AX アックス (角川文庫)」★★★★★+★
前作マリアビールで勝手に膨らませた想像は見事に外れた。
第三作も、物騒な業者(しつこいけど殺し屋)が主役であることに変わりはないが、一作、二作と違い悲しみと葛藤、そして哀愁に満ちていた。
今回の主役は兜(カブト)。
業界に優秀な業者として身を置きながら真面目な会社員を掛け持ちし、家庭では妻と高校生の息子を愛する良き夫であり父親だ。
そんな兜は極端な恐妻家でもあった。
家の中では、朝起てから寝るまで四六時中妻の機嫌を気にし、気分を害さないよう言動には細心の注意を払っている。
遅く帰ったときの夜食は音の出ない魚肉ソーセージに限るというポリシーは、本人的には諦観かもしれないが、傍目には悲哀を通り越し痛々しく不憫でならない。
見かねた息子が助け舟を出してくれることがあっても、自らの悲惨な生い立ちを思い起こす兜は、家庭内が平和で妻と息子が順調な人生を歩めるなら、それだけで幸せだった。
ただ幸せというやつは、壊すのは簡単だが維持するのは難しい。家族を思い物騒な仕事から足を洗おうとした兜は、それがために本当の窮地に追い込まれて行く。
非常に身につまされた。悲しいくらい我が身にダブった。
作者は本作で仕事と家庭の間で葛藤する男、父親の家庭に対する思いを描いた。
ラストで語られる妻との出会いにも心底共感した。そして心が暖かくなった。
僅かなすれ違いで妻に気持ちが伝わらなくても、自分の血をひいた子供がほんの一瞬だけでも察してくれたならそれでいい。
なんだかんだあっても妻には感謝している。モノクロだった我が人生をカラーにしてくれ人だ。もっと優しく接して大事にしないといけないと改めて思った。本書のおかげだ。
・・・私情が入りましたがご容赦を。
中山康樹「現代ジャズ解体新書 (廣済堂新書)」★★★★☆
著者は、往年のジャズ評論誌「スイングジャーナル」の元編集長で、私如きなんちゃってジャズファンでも昔からなんとなく知っていた。
書かれる文章は敷居が低くてとても読みやすいが、その実、ジャズばかりでなくロックやビートルズまで、深い洞察力をもってユーモアを交えながら深遠な考察、辛口の批評を語るのが常だった(2015年に逝去されている)。
本書は、タイトルのとおり現代のジャズシーン(出版は2014年)を冷徹に解体、分析するもので、ウイントン・マルサリス、村上春樹、ヒップホップの3点を切り口にしている。
全方向に向かって浅はかな知識でジャブを繰り出す「なんちゃって」人間としては、本書を大雑把にこうまとめる。
「現代のジャズは袋小路に入り込んでいる。なのに演奏家やコアなファン、そして音楽業界は、それを放置しているか又は気付かないふりをしている。なんともけしからん!」、そんなことが言いたかったのだと思う、・・・なんちゃって。
オホン。
著者は、そのあたりを愁い強く憤りながらも愛するジャズをなんとか立て直したい・・・、そのような圧を強く感じた。
奇しくも晩年の著作となったわけだが、ウイントン・マルサリスを称して「つまらない。でも注目に値する、聴くに値するジャズ」と評しているのも印象深かった。
「きれいすぎて燃えない」と断言し、「ジャズを純粋に音楽として捉えちゃダメだろ」と著者は言う。
私個人は、マルサリスのジャズは芸術として評価されるべきと思っていたので、コアなジャズファンやその道のプロとは、心理面で相入れないというのが正直なところではある。
そうだ、なんちゃってにはなんちゃっての世界観があるのだ!、ダイバーシティが価値を増す世の中だなのだ!。読後は、空元気も出る。
最後に、
村上春樹は好きじゃないからさて置き、ヒップホップにジャズの要素がある、似ているというなら一度真剣に聴かねばなるまい。