LION〜エンドロールに込められた制作者の想い

先日、家人Bと久々に映画を観たので、本日はその話を。

 実は、映画館に行くのは昨年大ヒットした邦画「シンゴジラ」以来で、今回はBから名前が挙がった米英豪の合作の「LION~25年目のただいま~」を渋谷のCINE PALECEで見ました。

 

 原作の実話をベースとするこの作品は、今年の本家アカデミー賞の6部門ノミネートほか数々のプライズを獲得した優秀作だけにとても良い映画でしたが、そのほかにもう一つ、筆者はこの映画で”エンドロール”の大切さに改めて気付かされました。

 一般に映画のエンドロールとは、出演者、スタッフ、謝辞などをサントラをバックに延々と流すものと相場が決まっています。

 人によっては、映画の余韻に浸ったり、高ぶった気持ちをクールダウンするインターバルにもなろうし、また一方では、文字が流れるだけの画面に退屈して途中で席を立ってしまう気の短い人もいたりします。

【以下ネタバレを含む】
 それが今回見たLIONの場合は、本編で言及がなかった前日譚と補足説明、そして深い意味を持つ献辞がエンドロールに仕込まれていて、この作品にとってとても重要な役割を持つものとなっていました。

 まず前日譚とは、主人公サルーと別れ別れになった後の兄クドゥの去就です。その後のストーリーはほぼサルーの視点で進むので、観客はエンドロールが終わる直前に初めてクドゥの運命を知り愕然とします。

 次にこの映画のタイトル「LION」の意味が補足的に、かつ種明しのような形で明かされます。本編では全く説明されないし百獣の王”ライオン”をイメージするようなストーリーでもありませんから、ここでタイトルの意味を知った観客は再び驚愕することになります。そうそう、この映画に英語以外の言語が使われていることも一つの勘所かもしれません。

 そして前日譚と密接に関連し、原作者を始めこの映画制作にかかわった全ての人達の想いを表すであろう献辞が最後の最後に現れて、観客もまた深い想いを持って再びストーリー全体を振り返ることになります。

 制作者が敢えてエンドロールに重い役割を持たせた意図は想像するしかありませんが、観客は館内の照明が灯るまで席を立たずスクリーンを見つめ続けるものと信じて彼らがこの映画を創ったことは間違えありません。

 筆者的には本編後半で、サルーが迷子になってから25年後にGoogle Earthでようやく故郷を見つけて帰るところあたりから涙活ムンムンだったので、エンドロールでその余韻がクールダウンされ、ホッとしたのも束の間、最後の最後で(ムムッ、そうきたかぁ~)と再びウルウルしてしまいました。

 そう、この映画は、エンドロールを最後まで見てようやく全体が俯瞰できる仕掛けになっているのです。

 ご多分に漏れず照明が灯る前に席を立った人はちらほらいて、筆者たちも次の予定があればそうしていたところですが、最後まで観て本当によかった。帰った人たちには、もう一度お金を払って最初から最後までキチンと観るべし、と説教したくなりました。

 以上、映画好きの皆さんには当然かもしれませんが、エンドロールには何が仕掛けられているか分かりませんので、退屈することなく目を凝らして出演者、制作者、スタッフ諸氏の作品に対する想いを汲み取りましょう。そうするうちに思わぬ発見やどんでん返しに会い、より深い感慨に浸れるかもしれませんよ。

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