この9月は都合5冊になり、珍しく書評を2回に分けました。
通勤は上着を羽織るほど涼しくなり、読書の方も自然と捗が行く、そういうことらしいです。
気がつけば季節は秋。
特別な年として記憶に残るであろう2020年も残り1/4周という時期ですね。
ここ数日、日本国内のコロナ感染者数の推移には、「減少傾向なるも依然高止まり」などと論評が付いたりしています。
涼しさから寒さへと、だんだん移っていく時期でもあります。
何はともあれ、気をつけましょうね。
三浦しをん「政と源 (集英社オレンジ文庫)」★★★★☆
運河を行き交う小舟が住民の足になっている東京の下町、墨田区Y町を舞台にした人情噺。
しをんさんお得意の男性二人を主人公に据えたパターンだが、多田便利軒の多田・行天コンビとは違い二人とも70を超えたお爺ちゃんだ。
戦時中からの幼馴染である元銀行員の堅物有田国政とつまみ簪職人ながら超エキセントリックな堀源二郎。
性格も見た目も正反対の二人を取り巻く街の人々と、水路に囲まれたY町の長閑さの中で、笑いあり、涙あり、痛快な活劇ありの人情譚が繰り広げられる。
本書の刊行は、ライトノベル寄りの集英社オレンジ文庫だ。
聞き慣れない銘柄だったのでラインナップを見てみると、僭越ながらほかに名前を知っている作家さんはいなかった。きっと登竜門的としても門戸を開いている文庫なのだろう。
そんな先入観もあって著者にしては軽い部類の作品とは感じたが、国政と別居中の女房清子の微妙な関係、源二郎と亡妻花枝の夜の駆け落ち、源二郎の弟子徹平と美容師マミの結婚話あたりは深みがあって人の温もりにホロッとさせられた。
さすがしをんさん。安心して読み進めることができる。
さらに国政と清子が熟年離婚に至る経緯が身につまされ、仲人の依頼をきっかけにして、なんとか関係修復を図るべく手紙攻勢に出る国政の涙ぐましい努力がまた不憫で、不本意ながら我が身に置き換え戦慄しながら大いに共感、反省した。
著者は人の心のひだを書くのが上手だし、BLという特異なバックグラウンドを持つ作家だけにうっか目が離せない。きっとまた手が伸びるだろう。
正木晃「お坊さんのための「仏教入門」(春秋社)」★★★★☆
プロに向けたその道の入門書という矛盾含みの大胆なタイトルだ。
…するってぇと御隠居さん、なんですかい?
弁護士のための法律入門、ソムリエのためのワイン入門、幕内力士のための相撲入門なんてよく分かんねーのも有りってことですかい?
オホン、くだらない屁理屈はさて置いて、本書は現代の日本仏教界が抱える様々な問題点、懸案、課題等々を掘り起こして整理し、プロである出家僧ばかりでなく在家の一般人にも分かりやすく解説しようとする良書だ。
ほぼ大乗仏教イコールと言ってもよい日本仏教だが、いにしえから大乗非仏説にその存在を真っ向から否定されたことに始まり、近代では世の中の変化によって檀家制度が崩れ、寺離れ、仏教離れが進み、経営面ばかりかその存在、存続の面でも苦境に立たされる寺が多くなっている。
そこへ追い打ちをかけるように課税強化への法改正が検討されたり、「坊主丸儲け」のような揶揄が蔓延る根本には、寺と僧侶の堕落があると著者は指摘する。
その点は、私のような素人でも素直にうなずけた。日常的に見聞きし肌で感じているからだ。ただし、それは全体のうちのごく一部と思いたい気持ちもあるのだが…
現代における仏教、もっと広げて宗教の存在価値は、「非営利」、「公益」にあると著者は言う。
くだけて言うなら、冠婚葬祭ばかりでなく、困ったとき、迷ったとき、何かあったときに誰でも相談に行ける窓口としての役割。
常日頃から、銭金に捉われず広く世のため人のためになることを敷居を低くして行って初めて地域の拠り所、苦しい時の文字通り駆け込み寺になり得るのだと思う。
求めるものに対する分け隔てのない救い。
それが本来の宗教の役割だし、社会的な信頼の源泉だろう。税制面他の優遇措置は、本来その対価のはずだ。
ところが一部の有名どころを除けば、一般に街の中の寺は神社より数段近寄りがたい。檀家衆以外には頑なに門戸を閉ざしているように見える。
それは長い歴史、檀家と寺という旧来の結びつきに安住し、宗教の本来の価値や目的を置き去りにした末に、自ら造りあげてしまった歪な姿であり在り様なのではないか。
現実的な内情や実態は私のような素人の知るところではないが、著者の言う「堕落」には、そのあたりの意味も含んでいると思う。
著者がタイトルに敢えて「プロのための入門」としたのは、基本に立ち返ってもう一度考えようではないか、なんとか底上げして広く世の中の役に立つ存在を目指そうではないか・・・、という強い呼びかけの意図とと理解した。
その意味で、真意は『再入門』と若輩は考えましたが、いかがでしょうか、正木先生。
伊坂幸太郎「残り全部バケーション (集英社文庫)」★★★☆☆
当たり屋という古典的な悪事を主な生業とする溝口と個性的な助手の裏稼業コンビ。
そのほかの仕事も司令塔の毒島さんから回って来るおよそ平和とは言い難いものばかりだ。
そんな中で、破天荒で支離滅裂な溝口は、相方の岡田、太田、高田の3人の助手のうち誰を一番いい奴だと思っていたのか。
腹が座ったうえ恐ろしいことこの上ない毒島さんは、この危なっかしい溝口を手懐けることはできたのか。
本作も紛うことなき著者の小説なのだが、珍しく散漫な印象だった。
前半、中盤は、仕込まれた伏線探しの方に気が行ってしまうほどインパクトが薄く、後半からの回収もやたら中途半端。
最終章でようやく(あっ、そうきたか)と納得するが時既に遅し。ラストも(ムムムッ…)だった。
著者が著者だけにどうしても辛口になってしまうが、伏線や細部を読み切れていなかったとしても、幸太郎さんには、いま一歩のテーマ性、エンタメ性を求めたかった。
締めとして、悪人だけど憎めない、幸太郎キャラ代表のような溝口氏に今の私の気持ちを代弁してもらおう。
「まあな、全然懲りてねえっつうの。次作に期待すりゃいいじゃねえか」
当ブログ管理人「追記のようなもの」★☆☆☆☆
さて今日、仕事の帰りに寄った本屋で、たまたま伊坂幸太郎氏のエッセイ集を見つけた。
そこには偶然、今回取り上げた「残り全部バケーション」のことが書かれていた。
曰く、「仕事と慣れない育児に追われ、煮詰まっていたときの作品(意訳)」とのこと。
現在アラフィフの伊坂氏、30代後半のことらしい。
前掲の書評で僭越にもこき下ろした直後だったし、一瞬言い訳っぽく感じて眼を逸らしたが、次の瞬間には気持ちが変わっていた。
自分の若い頃が浮んだからだ。
そして、「人をある時点の言動だけで評価すべきではない」という格言とも人生訓ともつかない慣用句を思い出していた。
小説に限らず誰のどんな著作であっても、さらに拡大して、一人の人間として相対するすべてのヒト、モノ、コトについて、常にその視点を忘れてはならないと改めて考えた。
さはさりながら、作品は作品、著者は著者、書評は書評、私は私・・・
読書感想文(「書評」という表現は、常々おこがましいと思っている)のスタンスを変えるつもりはないし、そう簡単に変えられるものでもない。
ただ、同じ作家さんでも人間味のある方のほうが好ましく思えるし、普通は知りえない作家さんの日常を垣間見た気がして、失礼ながら和んだのも事実だ。
(あぁ、仕事や子育てでアップアップし、時には愚痴もこぼす普通の人だったんだ……)
伊坂さん
前略
貴台の文章で恥ずかしげもなく若い時分のことを思い出した一読者です。
貴台の書かれるセンス・オブ・ワンダーあふれる作品を楽しみにしています。
お身体に気を付けてお仕事を続けられますよう、東京の空よりお祈りしています。
草々