親の面倒を見るということは

あいかわらず老親のケアに追われる日々が続いています。

父は5月初旬に腰椎の圧迫骨折を発症し、在宅ながら日常の動きがとても不自由な状態であり、一方、母も肺炎など治療のため一昨年来4度目の入院中です。

つまり二人とも高齢プラス闘病という厳しい事態に突入しているわけで、87歳という年齢を考えれば致し方ないことですが、本人達も見ているこちらもお互いに辛い日々になってしまいました。

そんな中で、私が直接的なケアしているのは土日は一応終日、仕事に出ている平日は朝晩のみになります。幸いなことに家にいる父親は、痛み止めを使えば辛うじて自力で動けるので,最低限の必要な家事はやってもらっています。

医者の処方どおりとはいえ薬に頼るのは良くないと分かっていても、生活のためには、背に腹は替えられないといったところ・・・。

斯様に綱渡り的な状況なのであまり先のことは考えたくはありませんが、もし父親も動けない容態になれば今の生活パターンは成り立たなくなり、また別の手を考える必要に迫られます。ヒヤヒヤ・・・。

日々、そんな生活を続けていると身体と心の両方から疲れが溜まってきましてね。時々すごく不埒でいやな考えが頭をかすめることがあります。

だいたいがとても文字には出来ないような「筋違いの怒り」や「身勝手な思い込み」なので、後で振り返っていつも自分はなんて心が弱いのだろうと反省することしきりです。般若心経でも唱えれば煩悩は消えるかな〜、とか思ったりして。

そういえば今日は,上野動物園のパンダが子パンダを出産したとニュースになりました。丈夫に育つといいですね。

滅び行くものがあれば,一方で次代を担うために新しく生まれるものがある。
「千の倉より子は宝」
たぶん私にもそう遠くない将来,子供に手を引かれながらそんなことを思う時が来るのでしょう。

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