その朝、私はズボンが濡れるのがいやで、東京駅から職場を目指し丸の内の地下街を歩いていた。世の中の不機嫌を全て塗り込んだような仏頂面をぶら下げて。
・・・オホン、実は前夜の深酒で頭痛がしていたのだが、俯き加減にペタペタ歩く私の視界に一人の紳士が入ってきた。
全体に白くなりかけた御髪から察するに、年の頃は60代半ば。服装はダークスーツで右手に黒い鞄、軽く構えた左手には黒いこうもり傘が提がり、明らかに勤め人又はかつて勤め人だった方である。
背筋をスッと伸ばし私の前方を颯爽と歩く紳士の頭には、ごく自然に粋な中折れ帽が載り、全身の上品な雰囲気を更に引き締めていた。
で、その紳士。足元に目を遣れば、なんと今時珍しい『ゴム長靴』を履いておられるではないか。ズボンの裾を全部たくし込んだ例のスタイル。そう、身体を使って作業する時のアレだ。沢山の取り澄ましたビジネスマン、お高いOL達の背景に馴染みつつ、控えめながら自己をしっかり主張している。そして何の違和感もない!
・・・実に眩しかった。都会のど真ん中をスーツにゴム長で歩いて、あんな風にかっこよく見える年の取り方をしたい・・・。若輩はそう思った。
それから職場まで視線をあげ、無理やり背中を伸ばして歩いたのは言うまでもない。