1.前置き
日本は災害の多い国だ。
特に地震は何の前触れもなく発生し、場所の予測も極めて難しい。
さらに大地震となれば被害は甚大だ。復旧には長い時間がかかる。
そんな恐ろしくて厄介な災害に対し、日本人のほとんどは程度の差こそあれ恐怖心を抱きつつ、一方でそれなりの覚悟もしているはずだ。
しかし、覚悟と準備は明らかに違う。PLANとDOは別ものだ(⇐意味不明)。
能登地震の被害を受けた方々に、心からお見舞い申し上げます
…………ということで、昨今の地震災害に触発され、これまで自宅に買い溜めてきた災害用品を点検して改めて地震災害について考えてみました。
2.災害用品を点検する
こちらが自宅にストックしてある災害用品です。
このほかに雑用水として20Lのポリタンクが倉庫に2本、それと簡易トイレ1箱(80回分)が配送待ち。
全容はそんなもので、改めて一箇所に広げてみると意外に量がありました。
アルファ米の非常食は、夫婦二人で3〜4日分はあると思います。
すでに試食済み(笑)。とてもおいしいです!
飲料水は1Lのペットボトル12本、簡易トイレは配送分待ちを入れて約100回分。
カセットコンロ、充電用のバッテリーもあるので停電、断水が続いても1週間までならなんとかしのげると思います。
……しのげるかもしれません。
……しのげるんじゃないかな。
……しのげないかもな。
実際に充分なのかはよく分からない……これが本音ですね。
3.避難か籠城か
あくまで想定ですが、大地震発生後の避難は考えていません。
大地震後、自宅マンション内は家具が倒れたり食器や小物が落ちて割れたりしてかなりひどい状態になると思いますが、建物の倒壊や火災はない、仮にあっても住めない状態にはならないと考えています。
なぜそれほど楽観的、お気楽になれるのか、否、ならざるを得ないのか。
それは、人口密集地に展開される避難所の半端でない混乱、混雑が想像できるからです(ちなみに東京23区内在住)。
避難所のキャパばかりでなく公の援助が足りるのかどうかも怪しいし、そもそも大地震とそれによる被害の大きさ、届けられる援助の量と質は、発生後でないと見えてきません。
そんな中では、大地震後も自宅マンションが一応居住可能と仮定し、又はそう思い込んで事態が好転するまでの間、避難より籠城、そして自助努力を基本に考える方が現実的ではないでしょうか。
4.それでも消えない不安
- (1)家族の安否
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仕事中、移動中、在宅中、トイレ中、入浴中、就寝中ほか、地震はいつ、どんな状況でやって来るか分かりません。
幸か不幸か現時点で拙宅に年寄り、子供はいませんから、自分の身は自分で守ることが前提となります。
その上で親として、夫として、世帯主として必須なのは準備、啓蒙、それとも安全と無事への祈りでしょうか。
- (2)住まいの被害状況は?
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自宅籠城と風呂敷を広げたものの、建物への被害は地震の規模や揺れ方次第なので、必ずしも目論見どおりとは限りません。
詰まるところは運を天に任せるしかないのだけど、生き残った後は臨機応変と辛抱、それに手持ちの資源を元手に前向きになるしかありません。
- (3)水は足りるのか?
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やはり一番心配なのは「水」です。飲料水然り、雑用水も然り。
浴槽には常に水を張っておくくらいしか思いつきませんが、風呂掃除するときには抜くし、夏場は悪くならないうちに替えなければならないし。
だいいちどれくらいの量があれば足りるのか、何を指標にすればよいのやら。
こちらも懸念や不安は消えません。
- (4)インフラは、いつ回復する?
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一番早いと思われるのは都市ガス。次に電気、通信。水道、下水道は、23区の場合どうなることやら。
浄水場や送水場、下水処理場も耐震化が進められているとは思いますが、面的に拡がる送水管網、下水管網にはどんな被害が発生するのか。復旧は、迅速に進むのか。
場合によって復旧は数か月、年単位でかかるとなれば、辛抱を通り越して命にかかわるような事態にもなりかねません。
5.まとめ
結局、備えあれば憂いなしの言葉どおりだと思いました。
地震に対する不安や心配はぬぐいようがありません。これはどうしようもない。
それはそれとして、解消しようとしても消せないものはそこに厳然とあるものとして認め、一方で手間と多少の出費を惜しむことなく対抗手段なり可能な準備はしておく。
これに尽きます。
3.11や今般の能登半島の状況に鑑みて、ことに臨んではまず自分が生き延び、身近な人を守り助け、近隣や地域の人たちと協調しながら、公の力にも頼りながら徐々にQOLを元に戻して行く。
これこそ太古の昔から災害の多い我が国に住む日本人、我々の先輩たちが繰り返してきたことです。
その順番が自分たちに近づいているだけと単純に考え覚悟を決めて、淡々と有事への備えを積み重ねるとしましょう。