今日は、筆者がパソコンに関してWindows一本槍を貫いていたらどうなったかという話です。
話の枕として、まず自分のパソコン歴における3つの転換点を振り返ります。
まあ、聴いてください。
建築設備の仕事を始めて10年目の1986(昭和61)年、31歳で必要に迫られコンピュータを使い始めた。
学生時代に背負ったくだらないトラウマのせいで避けて通ってきた世界に意に反して引きずり込まれた体だ。
パソコンという未知のものにゼロから向き合い、キーボードとマウスに馴染んだのはこの時期だった。
5550は、当然ながら現代のPCとは比べものにならない低スペックで、少し負荷をかけるとすぐフリーズする代物だった。
ストレージも3.5in.フロッピーディスク(導入当初は5.25in.)が2基だけという頼りなさだったが、往年の表計算ソフトMultiplanの便利さも手伝ってそれなりに使い込んだ。
時代の流れに背中を押され、一念発起して新しい世界に一歩踏み出せたのは5550とMultiplanのお陰だ。
CRTディスプレイに映るserifの美しい日本語フォントは、今でも鮮明に覚えている。
2006年、50歳でこのブログを開設した。
パソコンを使い始めて20年、インターネットに繋いで5~6年目頃だった。
Webの中で自己表現する人たちが徐々に増え、それらを俯瞰しているうちに自分もそこに混じって交流したくなったのだ。
いまでこそ数多あるSNS。
情報発信や交流は実に簡単で迅速。今となってはなくてはならない社会インフラとなっているが、たった20年ほど前、ネットでの交流は、筆者のような一般ピーポーには途轍もなく敷居が高かった。
そんな中でも、ブログは一番入りやすかった。
当時のブログ投稿、コメント、トラックバック、相互リンク等々によるコミュニケーションは、新鮮かつ高尚で刺激に溢れていた。
互いに手探りしながらのやり取りはハラハラドキドキの連続で、何でもネットが当たり前の現代では決して味わえないものだった。
知らぬ間にHTML、CSS、ネットワーク、クラウドなどの下地ができたのもこの頃だ。
所詮は上っ面をさらっただけだが、ITの世の中を生きるうえで必要最低限の知識が身についたのは大きな収穫、大げさだが人生の宝物と思っている。
そして2012(平成24)年、自宅にAppleのMacBookを導入した。
仕事では意識の低い窓教徒のまま、家では林檎教に改宗し、なんちゃって二重信仰者となった。
動機は、Windowsのカオスな面とPCのおもちゃっぽさが鼻につき始めたこと。
車に例えればWindowsは商用バンだと思う。
体裁は垢抜けないけど何にでも使える便利でカスタマイズもし放題の汎用車。ステッカーも貼り放題(笑)。
一方のMacは完璧に作りこまれたオーダー車だ。
言うなれば手にした時点で完璧オーラをメラメラ発するスペシャルティカー。
所有すること自体がステータスとなり常に人目を惹く存在。
「Porscheですが何か?」みたいな………
そんなブランドイメージと相まってそこには静謐で気品溢れる世界があり、すぐにはまった。
工業製品として超一級の品質と品格も、理系男子の琴線に触れた。
ただし、手にして初めてMacの欠点も分かった。
それは、一般ユーザーによるカスタマイズがほとんど考慮されていない、あるいは可能な範囲が極端に狭いことだった。
前置きが長くなりました。
結論いきます。
もし自宅にMacを導入せずWindowsPCを使い続けていたなら、間違えなく「自作WindowsPC」の方向に進んでいただろう。
これです。断言できます。
もともと工作好きで、若いころは電子工作やスロットレーシングカーの自作でハンダ付けはずいぶんやったし、自転車の組み立てやメンテナンスはお手のものでした。
林檎教に改宗後もMacBookの裏蓋を開けてメモリーを増設したり(完全保証外)、iMacでは外付けSSDにシステム一式を載せ替えて爆速にする小細工などで工作欲を満たしてきました笑。
だから、PCの部品や周辺グッズ入手の状況や手持ち資金を横目で睨みながら、WindowsPC自作の方向に進む人生もきっとあっただろうと思うのです。
それはそれでのめり込んだことでしょう。
今の世の中、ネットや情報に自作PCのHow Toはいくらでもあるのに、なぜ手を出してこなかったのか?
それは、Macとその世界観にWindowsを上回る魅力があり、身も蓋もない言い方になりますが単なる道具なのに体感的にしっくり来るもの、居場所と感じられるものがあるからです。
「仕事、私生活ともWindows沼」という状況には、今さら戻れないし戻りたくないと。
工作への欲求不満は、別方向に解き放せ!
…………ということでまとめとします。
おしまい