昔々、遊羅支亜大陸の東方、ヒノモトという島国に「セキアズマ」と呼ばれるそれは広大で平らな土地があった。
セキアズマには、ミンミン村とカンカン村という集落があり、それぞれ住民や習慣、風習に違いはあったが、はるか北方の山々を源流とする途轍もなく川幅の広いアラトネ川のあっち側とこっち側で農耕や牛の放牧などして、それぞれ平和に暮らしていた。
二つの村は、互いにまずまずの暮らしぶりだったので交易や物々交換の必要もなく、住民は春先に上る焼畑の煙を見て(そういえばあっち側にも誰か住んどった)と思いだすぐらいで、古来から人の行き来というものは全くなかった。
さて、そんなある日のこと。
ミンミン村にアラトネ川の方から一人の老人がやってきた。身なりはボロボロ、頭はボサボサ、体はガリガリ、風が吹けば今にも飛んで行きそうな眼鏡をかけたジー様である。
農作業をしていた村人を前にジー様は言った。
「ワシはカンカンから来たライス・マイルストンという見ての通りの年寄り。哀れと思いしばらく置いてくださらんか・・・」、いかにも栄養不足のしゃがれた声で言った。
えっ、なになに?
その年寄りは、どうやって川を渡ったのか?
行き来がないのに、川に船や橋なんぞがあったのか?
そもそも西洋人のような名前はおかしくないか?・・・読者諸兄諸姉の気持ちは痛いほどよく分かる。
されどご安心あれ。木を見ず森を観るがよい。
さあ、心を開いて前に進まれよ!
閑話休題。
村人たちは、今までまったく付き合いのなかった川のあっち側からの来訪者に当惑し、世話役は狼煙を上げて長老たちを集めた。そして村長を筆頭に鳩首協議した結果、カンカン村から来た年寄りが、我らがミンミン村の役に立つなら置いてやろうということになった。
ここで話は少し飛ぶ。
その頃セキアズマの多くの民は、北方の山すそに祀られた「アベノ神」という氏神様を一様に信奉していた。
アベノ神は、古い言い伝えによると元々アベノミコトという諍い好きで口先だけの下級神だったが、同じころ海を隔てた隣国のムキムキ・ジョンという太っちょでキノコのような髪型のやさぐれた神を三本の矢で成敗して一気に名を上げた。
真相は、ただ単にジョンの動きがその体重から鈍かっただけとも、アベノミコトに「なんでやねん!」と突っ込まれジョンが、「ウン!」と普通に返してしまい劣勢に立ったためとか諸々囁かれたが、とにかくつまらないきっかけからアベノ神の信奉者が増えたらしい。
実態はさて置き、とかく風評とはそんなものである。
ミンミンの村人もそれ以来、年に一度、その昔になんとやらの武勇を誇ったと伝え聞くアベノ神を祀るアベノ神社まではるばる出向き、その年の新米を奉納し村の安寧祈願のため手を合わせていた。
そして、これといった争いごとや災害もなく平穏に暮らせることをご利益と心得ていた村人は、収穫が増えれば村が潤うと共に奉納米も増せる・・・、然らばと全村一致でライス爺さんを村に住まわすことにしたのである。
さて、セキアズマでも時は矢の如く過ぎて行く。
一年後の秋のこと。
爺さんはすっかり村に馴染み、般若心経カンカンバージョンとも言うべき念仏のようなマジナイを村中に広めていた。
村人たちも半信半疑うながらいつもに増して懸命に働いた。そしてマジナイの効能かどうかは定かでなかったが、米の収穫量は昨年の倍にもなった。
・・・それで十分だった。
配給米が増えたことを村人、特に女衆は大そう喜び、重ねて餌が良くなって肥え始め、乳の張りも良くなった牛を見て更に喜こんだ。
女性が元気なら男性は言わずもがな。男衆は、昨年の倍の米を気前よくアベノ神社に奉納してこれまで以上のご利益を祈願した。
それやこれやで万々歳。時はちょうど秋祭り。村は上を下への大騒ぎである。
「ホイジャー!」という村長の一声で、今年の秋祭りは数十年来の大祭とすることが決まり、元来酒好きである村人たちの鼻息は一気に荒くなった。
一方、ライス爺さんもそれなりに酒好きではあった。出身のカンカン村では農作業が一区切りついた、客人が来た、雨が降った、晴れた、などと何かにつけ酒盛りをするのが常で、爺さんもそれを楽しみにしていた。
それがここミンミン村に来てからというもの、拾ってくれた村人たちに対する恩義と居候のわが身に鑑みて、いくら声がかかっても宴席に顔を出す事はなく、それは質素につましく暮らしていた。
しかし、何と言ってもこの度の大豊作には爺さんが一役買っている。しかも例のマジナイは、村の諜報機関MIAの厳重な管理下に置かれ、爺さんしか知らない256桁のPWで保護されていた。
そう、ライス爺さんは、滞在1年にして村のVIPとなっていたのである。
元々祭り好きな村人がそんな時の人を放っておくわけはない。固辞する爺さんを無理やり引っ張り出し、ミスミンミンを専属コンパニオンに当てがい、その働きを讃えると共にこの一年の労を労った。
そのお陰もあって秋祭りは大いに盛り上がり、最終日の納会は、かつてない無礼講、豪華絢爛な村を挙げての宴となった。
最初は遠慮がちだった爺さんも久々の酒が呼び水となり、大勢の村人とともにヘベレケになって人々の気持ちに盛大に甘えた。終いには、片付けが始まっても据わった眼をして村の集会所で「もっと酒もってこい!」、「つまみを早く出さんかい!」などとくだを巻くものだから、ミスミンミンは呆れ返るわ、賄いの女衆にも顰蹙を買うわ、始末に困った。
まったく酒とは恐ろしいものである。
・・・さて、
祭りの後が気だるく淋しいのは世の常。
爺さんは、しこたま飲んだお陰で割れ鐘が頭の中で鳴り続ける中、自宅の床でしおらしく己の去就に思いを巡らせていた(実は気持ち悪くて起きられなかったのだが)。
(この村に来て早一年・・・
村人たちはワシをプロパーのように大事にしてくれる
しかし所詮自分はよそ者、外様だ
いつまでもズルズル世話になり続けるのは忍びない)
(そうかと言って、一年前に出てきたカンカン村は最近、若尊老卑になっちゃったし、40年近く働いて正直もう飽き飽きしている。
一方、セキアズマは広大な未知の大地。まだまだ俺はやれる・・・)
端から見れば自信過剰も甚だしいのだが、あれこれ考えた末、自らの今後を
1 忍び難きを忍んで古巣のカンカンに戻る
2 好意に甘えてこのままミンミンに定着する
3 広大なセキアズマに自分探しの旅に出る
3つの選択肢に整理した。
さて、再び話は飛ぶ。
爺さんの出身地であるカンカン村には、毎年3月31日に若者たちが60歳を過ぎた年寄りの肩を叩いて回るという不思議な習慣があった。人々はそれを「カタタタキ」や「サダトシ」と呼び、皆が皆、奇妙な習わしと感じながらも深くは考えずに続けていた。
それは元々、年長者に労いの気持ちを表す行事だったと伝えられるが、今日では、いつまでも自分が老いたこと、若年層の重しになっていることに気付かない年寄り連中に引導を渡すという側面の方が強くなっている。
いわば未来ある若者を老害から開放して、村の活気やニギワイを保つための知恵とも言えよう。
肩を叩かれた年寄りは、長年続けてきた仕事や従属していた集団に別れを告げ、肩を落としてどこへともなく去って行くのが通例で、中にはそのまま居残るもの居るには居たが、不思議なことに一様に影の薄い存在へと変身しまうのだった。
ちなみに若者たちは、年寄りの肩を叩いて回るときに「Fire or Treat!」と口々に叫んだ。
なんでも異国の耶蘇教とらやで太古の昔から行われているカボチャ祭における「Trick or Treat!(お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!)」なる掛け声を真似たらしいが、カンカンの若者が意味もなく異国にかぶれていただけだとすれば、世の中とはなんと変わらぬものであることか。
若者たちの気持ちを酌んでその掛け声を無理やり意訳するなら、「いつまでも偉そーなジジババは首だ!」とでもなろう。もっともな意見と言えなくもない。
斯くいうライス爺さんも件の掛け声でカンカンを追い出された口だったから、1は選択肢としてあり得なかった。2は、ミンミンの居心地が良いだけに満更ではなかったが、見かけによらず変なところに堅い爺さんは、気持ちの上で潔しとは出来なかった。
ここで諸兄諸姉にあえて問う。
この話の続きと結末を如何に見通すか。
<一つの結末>
悩んだ末にライス爺さんは、残る選択肢3を選びミンミン村を出て広大なセキアズマを長い間旅してまわったが、自分が落ち着くに相応しい場所はどこにもないことを悟った。結局、故郷であるカンカン村に舞い戻り、自らが経験したミンミンでの心地よい日々と人々の親切を語って回ることを生業としたのである。
それがカンカンの人々の心を開くきっかけとなり、2つの村同士で人の行き来や交易が盛んに行なわれるようになった。
かくして爺さんの帰村以降、各々の村は以前にも増して栄えたのである。
その後の爺さんは、カンカン村で静かな余生を過ごしたが、80歳を迎えた年に持病の緑内障、難聴、水虫その他諸々を一気に悪化させて鬼籍に入った。人々は村が栄えるきっかけ作りをしたライス爺さんを長く記憶に留めようと、アベノ神社の境内に「カンミンの架け橋」というマイルストン、もとい石碑を建立し、その足跡を代々語り継いだという・・・
・・・なんとも作り話のような面白みに欠ける陳腐な結末である。お察しとは思うが、これは筆者の拙い想像を基にした一つの結末でしかない。
実のところ、現代に至るまで延々と行われているセキアズマの遺構発掘調査だが、出土した遺物からは、ライス爺さんがミンミン村を出るか否か逡巡したところまでしか確認できていない。
すなわち、この物語の真の結末を書くには、セキアズマの史実を更に深く紐解かねばならないのである。
はたしてライス爺さんは、その後どんな道を歩んだのか。ミンミン村とカンカン村に隠された真実とは何だったのか。
いにしえのヒノモトに思いを馳せながら発掘調査は続く。