あくまで自己中心的な視点ですが・・・
一昨日、私は車椅子押し人として一般社会にデビューいたしました。乗客は、高齢にしてヨレヨレの母であります(汗)。
今までは病院内といういわば保護区の中で押したことはあっても、オープンエアかつ弱肉強食的な一般社会のインフラ上で乗客を運送するのは初めてのことでした。
初回なので母ともども若干ナーバスになったものの、恵まれた天候のもと、電車で数駅先の公園までなんとか無事に紅葉狩りに行って来ることが出来ました。
その道中にて・・・
今まで意識したことがないところでストレスを感じたのであります。例えば、
反面、ありがたかったのは、
10年ほど前、タイのバンコクに赴任していたときに、大きな歩道の段差、エレベーター・エスカレーターのない駅、トイレにそれらしい配慮がないこと、などを現地の人たちに指摘すると、マイペンライ(問題ない)、何でそんなことを聞くのかと逆に返されて口がアングリ開いたものでした。
曰く、弱い人や困っている人は近くにいる誰かが助けるから何も問題ないじゃないかと。
・・・たぶん、日本もほんの数十年前まではそういう世の中だったんだよね。
今の日本社会においてはハード面の配慮はだいぶ進んできています。でもそれは弱い人や困っている人の手助けになるからであって、普通人が手抜きをするために設けられているものではないはずです。
思いやりや互助精神が希薄になったのでインフラ整備に力が入るのか、設備が充実するから気持ちが薄らいで行くのか。
タマゴが先か、ニワトリが先か・・・
どちらにしても困っている人を思いやる、手助けする、日本人が本来持っているお互い中間じゃないかという気持ちを置き忘れてはならないと改めて思った次第です。
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私の親は、まだ車椅子のお世話にはなってないのですが
車椅子の友達や知り合いはたくさんいて、
20年以上前から(汗)車椅子を押し続けてきました。
当時は私も若かったので(笑)、意外と通りすがりの人に
手伝ってもらった経験が多いです(今はムリでしょうなあ 笑)。
人の目が気になるよりも、まず重い!動かない!通れない!が先にたってましたし。
いっつも「少しはやせろ」「少しは押す力を鍛えろ」とケンカになったものです(笑)。
そのころは今のように各駅にエレベーターがあるわけでもなく
行った先でも中に入れなかったりで、どこへ行けるか事前の調査が必須でした。
電車に乗るには、駅員を呼んで階段を運んでもらってましたねえ。
身障者用のエレベーター(普段はたたんであるヤツ)を使おうと
そばにある呼び鈴を押すと、たいていは誰も来てくれなくて
駅員室に行って抗議すると「よくイタズラされるので、今回もそうだと思って」。
ただ、20年前と今とでは、明らかに人の視線も
駅員さんの「本物かよ」顔も、かなり軽減されました(笑)。
そして、残念ながら?数十年前までの日本は
もっと残酷な社会だったと私は思っています。
世間体を第一に考える日本人は、家系に「普通とは違う人」がいることを極端に恐れ、
家から出さなかったりあるいは人知れず始末していたこともあるでしょう。
懐かしの金さん銀さんも、若い頃は「畜生腹」と蔑まれてきたはずです。
昭和50年代あたりから、「障害者も人前に出よう」という意識が強くなり
大勢の障害者が好奇の目にさらされながら、人の目を慣れされる努力をしてきました。
あんまり好きな言葉じゃないけど、ノーマリゼーションってやつですね。
20年前、いまほど電車の中で車椅子をみかけたでしょうか。
それは、「車椅子が増えた」のではなく、
「車椅子で電車に乗る人」が増えた、そして
車椅子で出かけることがかなり容易になってきた、そのせいだと思います。
もちろん、まだまだ不足はあるけれど
そうやって身をさらし、人目に出てみんなに知ってもらう、
そうすることで、もっと周知されていくんだろうなと思っています。
誰だっていつお世話になるとも限らないんですしね~。
確かに日本人の互助精神は、境遇の類似度(の2乗?)に
比例する面があるような・・・
・・・うまい返信コメントが書けませぬ。
デビュー間もない新人に愛と寛容と慈悲を(笑)!