今日は、筆者のQuora観です。
ちなみにSFではないので電気羊は出てきません。タイトルに偽り在りです。あしからず(ドヤ顔すな)。
Quoraはユーザー参加型のQ&Aサイトで、日本では2017年11月にサービスが開始された。
登録ユーザーなら誰でも質問、回答に参加できるので、SNSの一種とも言える。実名制だ。
コンセプトは、「世界中の知識を共有し、広め深めること」で、良質な「問い」と「答え」でつながるコミュニティを作り、「最終的には、世界中の人々が知識を共有できるようにする」としている。
◆ Quoraについて(Quora’s mission is to share and grow the world’s knowledge)
トンデモな質問でも、その道の専門家や経験者は読み応えのある素敵な回答を返してくれるし、そういった知識の積み上げを多くの人々が共有できればもっと素晴らしい、……そんなことらしい。
さて、国内を振り返ると、日本版Q&Aサイトとしては筆者が知る限りYAHOO!知恵袋や読売新聞が運営する発言小町が老舗だが、Quoraはそれらと違ってなぜか延々と見続けられるので最近は暇があれば覗いている(閑人と呼んでもらいたい)。
それでは、なぜそれほど没入するのか。その理由を考えてみよう。
話の前段として、以前YAHOO!知恵袋で見つけて今でもたまに見に行くQ&Aを一件紹介する。
質問はこれ(意訳)。
「弱肉強食が今日の人間社会で行われないのはなぜか。優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのか」
対するベストアンサーがこちらだ。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463546664
その界隈ではよく知られた回答なので、ご存じの方もおられるだろう。
これを読んで、その理論の明解さと説明の上手さには感動すら覚えた。
学術的に正しいのかどうかは分からないが、人間の生存戦略、自らの遺伝子を確実につなぎ、種として生き延びる戦略を見事に説明しきって説得力は抜群だ。
ただし、YAHOO!知恵袋の中のトピックが皆このレベルなのかといえばそんなことはない。当然ながら玉石混淆で、その振れ幅はかなり大きい。
一方発言小町は、元々のコンセプトは確か「女性のお悩み相談」だ。
たまに、本当にたまに覗きにいくが、嫁姑バトルにおける無口な夫問題とかトラウマレベルの生々しいトピックにぶち当たることがあるので、最近はなるべく近寄らないようにしている(大汗)。
さて肝心のQuoraだが、先述の知恵袋ようなレベルが高くて読ませるトピックの多さが没入するひとつの理由だ。
一例として、最近唸ったトピックを紹介したい。
質問はこれ。
「日本の将来は「大丈夫」って考える、その理由は何ですか?」
それに対する筆頭の回答がこちら。
https://jp.quora.com/日本の将来は-大丈夫-って考える-その理由は何ですか
加齢とともに保守化、右傾化している自覚はあるが、この回答には心の奥に漠然とあったものが具体化された気がして心底共感した。
Quoraでは、論理的、客観的、学究的な回答というより、概念的、説諭的、示唆的で、質問者、読者に希望を持たせるような回答が多く、漠然とした質問から内容の濃いキラッと光る回答が飛び出してくるのも特徴だ。
また、回答は複数件を見ることが出来るが、それで全部かどうかは不明である。筆者はたいがい一番上のものしか見ない。
回答の表示順には、独自のアルゴリズムを使われているとのことで、二番手以降には批判的なものや後ろ向きのものが混ざって来るように感じる。
つまりサイトの品質維持の肝は、このアルゴリズムにあるようだ。
何れにしても、回答者のレベルが高いことに加えて当該アルゴリズムが筆者の思考にシンクロするのが没入できる大きな理由だと思う。
整理すると、
その他、自分好みのジャンルをあらかじめ登録することが出来たり、同じ志向のユーザー同士で作られたグループを覗くこともできるので楽しいし奥が深い。
また、ユーモアやジョークに寛容なところもいい。運営者、登録者、閲覧者ともにフフンと半笑いでやり過ごす余裕があれば長続きすると思う。
……ということで、夕食後にQuoraをザッピングする習慣は、当分続きそうだ。
ちなみに、筆者には質問者、回答者ともハードルは高すぎるので、RAMではなくROMのような付き合い方が合っていると思う(陳腐な表現で面目ない)。
以上、偏見を含むQuoraの紹介でした。
よく言われる「集合知」とは、Quoraのようなものを指すのかな~と思ってます。