拙宅では、一昨年の夏にリビングのテレビを新調しましてね。
その後しばらくしてふと気がつくと、55型の液晶テレビはドラマ好きな家人Bの専用劇場になっていました(汗)。
今さらチャンネル争いをする年でもないし、その気になればiPadでもテレビ番組は観られるので、筆者自身は何ら困っていないのですが、改めて考えてみるとテレビの視聴は以前に比べて格段に減っています。
今日は、そのへんの事情を考察してみましょう。
自分から積極的に観るのは、
なんとなく見るレベルでは、
ニュース、天気予報を除くと、自分から進んで見たい番組って最近はとても少ないんです。
傾向としては、難しいことを考えずに見られるエンタテイメントがほとんどで、チコちゃんやブラタモリなんかは見て面白いし知的好奇心をくれるし、今どきは希少な番組ではないかと思います。
ちなみに「サンデーモーニング」も半分エンタメと割り切って見ておりますよ、はい。
家人Bがドラマに没入していると妙に気が休まるのはさて置いて(アワワ…)、なぜ進んでテレビを見ることが少なくなったのか、その理由を整理してみましょう。
大雑把に括ると、(1)クオリティの低さ、(2)偏った報道、(3)ネットコンテンツの充実・拡大が、個人的なテレビ離れの理由かと。
世間一般にも同じような感覚の人は多いのではないでしょうか。
一方技術面を見ると、テレビのハードはこの50年で大きく様変わりしました。
真空管から半導体に、白黒からカラーに、ダイヤルからリモコンに、モノラルからステレオに、ブラウン管から液晶パネルに、果てはオーディオやネットとの連携も当たり前というように進化しています。
それに比べて番組作り、視聴者から見たソフト面はどうなんでしょうか。
あくまで個人の感覚ですが、昭和の後半から着々と進んだ家庭内の個人主義化とテレビの低価格化、今となっては言わずもがなのネットの一般化等々によってテレビを取り巻く環境が激変したにも関わらず、十年一日ほとんど進歩していないのではないように思います。
これを音楽のコンサートに例えてみましょう。
・・・なんて、ちょっと言いすぎかも知れませんが、筆者がイメージする今のテレビ界ってそんなもんなんです。
冒頭で「以前に比べて…」と書きました。
あくまで個人的にですが、その昔は毎週楽しみにして見たテレビ番組が結構たくさんありました。
…どれも懐かしいですね。
番組が始まるのを楽しみに待つ、食い入るように画面を見る、思いっきり笑う、手に汗握る、時にはティッシュ握って号泣などという、今ではほとんど無くなった場面が当時のテレビの前ではよくありましたね(涙もろさだけは加速中だけど…)。
振り返ってみると当時のテレビ番組は、頭の良い人たちが作るパワーのある番組が多かったような気がします。海外ドラマも良質なものがたくさん放映されていました。
このあたりの感覚は筆者だけではないと思いますが、どうでしょうか。
時代が流れれば、世の中や人も変わります。
こうして記事を書いている筆者にしても齢を重ねるごとに環境や境遇が変化し、当然ながら次第に趣味嗜好も変わってきています。
「だから世間の最大公約数であるテレビ番組に興味が薄れたのでは?」
…という指摘は、半分は当たっているでしょう。
一方、真偽のほどは定かではありませんが、今の時代、製作側、特に放送作家さんなどは慢性的な人材不足なのだそうです。また、昔に比べてレベルが云々などという情報を目にすることもあります。
単純にそれだけでテレビ番組の総体的なクオリティが下がっている(言っちゃった…)、オホン、極論過ぎるので言い換えると、筆者のような中高年の男性層に受ける番組が減ったとは思えませんが、そのほかに…
今の世の中、テレビ番組に取って代わるローコストなコンテンツが溢れているという確たる現実がある中でテレビ界は、
…というようなスパイラルに陥っている。
お分かりですね。テレビ業界、負のスパイラルです。
筆者は、テレビ業界や番組制作サイドから「軽視された」中高年層、成人男性層ではあります。でも、その昔の思い入れは心の奥に熾火のように残っていましてね。
だから現在のテレビ界が、前述のような芳しくないスパイラルに陥っているのをとても残念に思うし、難しい岐路に立たされているテレビというものに同情もしてしまう。
手に汗握ってテレビを見ていた当時の熱燗ほどの熱はすでに常温に冷めてしまったけど、オワコンなどと言われることなく、チコちゃんやブラタモのような番組がいろいろな事情を乗り越えて存続し、願わくば増殖し、これから先も良質なコンテンツを提供してくれることを願うのみです。
おしまい。