2019年も3月末、桜の季節となりました。
いつものように慌ただしい雰囲気のある年度末、期末ですが、今年は今上天皇の生前退位と皇位継承、そして改元を目前に控えているため、世の中全体が新しい時代への期待と不安を共有するという世にも珍しい別に雰囲気が加わっています。
ぐっとレベルを下げて自分のことを考えてみると、先日4回シリーズで書いたように、ここに来て惣領としての一つの大きな仕事(詳細はこちら)がようやく収束しつつあるので、やはりというか偶然というか一つの節目を感じている昨今です。
さて、2月は11日間入院したこともあって、珍しく書評が5本になりました。
著者は、これから仏教を学ぼうとする者に、幅広く掴み所の見つけにくい仏教をヴァイキング料理に例えて解説する。
前半に比べ後半はかなり難しくなっていくが、太古の昔から「八百万の神々」を信奉してきた日本人には、元々多様性を許容する素地のある仏教は受け入れやすいとの考え方で一貫している。
また、あとがきでは、今の時代に仏教の持つゆるい輪郭は貴重で、頑なに統一を拒む構造を持っているとさえ思える、としている。
この辺りの考え方は、自分でも何となくそんな気がしていたので、大いに共感した。
文中に出てくる禅定、唯識、六波羅蜜などについては、まだまだこれから勉強しなくてはならないし、少し上の目標を与えてもらったという意味でも本書に巡り合って良かった。
臨済宗の僧侶で芥川賞作家の著者が語る人の死についてのエッセイ集。
特徴は、観念的になりがちなその手の話を、医学的、物理的に客観視しながら説明しているところだ。臨死の光体験メカニズムの話などは、どちらかと言えば理系脳の私には受け入れやすかった。
頭が良くて説明が上手い方の話は、スッと入ってくるので羨ましい。
一匹の猫の生と死と、それに関わる人間たちを通じて何かを訴えようとする小説。・・・と思ったが、浅学非才な私はそのココロは理解できなかった。そして、残念ながら得るものはなかった。
自らの歩き遍路をテーマにしたエッセイ集。
著者は元朝日新聞の論説委員だけに文章はとても上手い。ただ、四国巡礼独自の文化である「お接待」ほか、その歴史や人との出会い、自分の遍路の苦労などを思い入れたっぷりに語られると、四国お遍路にそこまでの感情移入ができない私としては、読んでいて苦しくなってしまう。
自分自身の区切り打ちの現在形である五十八番まではなんとか読んだが、そこから先に進むことはできなかった。
著者は、作家になる前にバーテンほか30近い職を点々としたという。
昭和40年代の新宿バー街を舞台にしたこの連作短編集には、小説家を目指す駒井という寡黙なバーテンが登場する。主人公の仙田を囲む人間模様を情感たっぷりに描きながら、著者はきっと思い出多い夜の新宿を懐かしんでいたのだろう。
戦後の闇市の影を引き摺っていた「あのころの新宿」に行ってみたくなった。