Categories: 介護/親のこと

病院から特養ホームへVol.02

肺炎ほかのため、一年半ほど総合病院に入院していた母がこのたび退院し、同日、同じ区内の特別養護老人ホームに入所しました(病院から病院ではないので「転院」ではないし、表現に迷いますな)。 先週土曜日、2月1日のことです。

一昨年来、申し込んでいた新設の特養ホームから「空室出ました!」と連絡があったのがこの1月初旬。それからひと月足らずの間での移動ですから、本人はもちろん、家族も戸惑ったし、退院と入所、言い換えれば医療と介護の両面でいろいろな調整、すり合わせを必要とすることがありました。

大きくは3つ。

一つ目
特養ホームは、医療を主体とする施設ではないので、入所には本人の健康状態に制限があります。母の場合にネックとなったのは、(1)夜間の痰の吸引が必要か、(2)栄養液注入用の経鼻チューブを自己抜去する恐れはないか、という2点でした。何れもホームの人的、設備的態勢の中では対応が困難な部分です。

その辺りを入院していた病院に確認したところ、(1)出来れば夜間も吸引の対応が望ましいが現在の容態ではしなくても大丈夫、(2)チューブの定期交換直後には注意が必要、という答えが帰って来ました。結果的に許容範囲内ということでホームからは受入れOKの返答が来て、まずはホッとしました。

二つ目
本人の気持ち。これを固めるのが一番厄介でした。特養ホームへの移動を最初に母に話した時には、まず第一声で拒否されました。

「やだ、行きたくない」。

ある意味、当然の反応ですね。ある日突然、知らないところに連れて行く、と言われているのだから不安でないわけがありません。

日を替えて建物や入居する部屋の写真を見せながらした説明は却って仇となり、しまいには「建物が大きいからいやだ」、「部屋が広すぎていやだ」などと言い出す始末。要は、部屋が狭かろうが、ベッド上で過ごすだけの毎日であろうが、住み慣れて顔見知りも沢山いる病院から出たくない、だからホームなんかには行きたくない、という理屈です。

オ〜マイガッ。

そんな頑な母の説得には、結果的に約2週間かかりました。今、振り返れば母は母で置かれた状況をあれこれ考えながら、自分が納得出来るだけの理由を探していたのです。ホームへの入居申込み期限の直前になって、彼女が自分で見つけ出した答えはこういうものでした。

「ホームに行くことを決めた。これは、長い間介護で世話になってきた沢山の人達への恩返しだよ」

(行きたくて行くのじゃない、でも88年間伊達に生きたわけじゃないんだ、だから筋は通させとくれ)、そんな事を言われているような気がして、思わず心の中で手を合わせていました。

三つ目
私自身にも大いに不安と迷いがありました。 特養ホームをよく知らないということもありましたが、一番大きなものは、今の母には何が必要なのか、言い換えればどうしてやれば幸せな余生を送らせることが出来るのか、という点でした。

しつこい肺炎と嚥下障害が持病の母にとって、医療の面からは疾病が癒えるまでの間、病院に居続けることがおそらくベストな選択なのだと思います。

一方で、狭い病室、毎日天井を見上げて寝ているだけの生活、両手にはチューブ抜去防止のミトン手袋、部屋の外に出るのは週2回の入浴時だけです。そんな姿と日々の生活が不憫でならず、ホーム入居に先だって新しくて立派な施設(マジですごい!)を見学させてもらった時には小躍りしたものでした。

しかし、ホームでの生活とケア全般について施設の担当者から説明を聞くと、その気持ちは急速に萎んでいきました。実生活に近い快適な日々を過ごせる一方、医療的な対応は病院とは全く違います。そうだ、母は医療を必要とする病人だったのだ、と改めて思いました。

病 院 = 医療>生活の質
ホーム = 医療<生活の質
迷いは、「医療」と「生活」のどちらを優先するのか、という点に行き着きます
結局、父、姉、家人Bと相談しながら選んだ道は、やはりホームでした。

ホームに移動して環境が激変すれば、それは高齢の母にとっては大きな負担になるし、受けられる医療のレベルは低下します。でもQOL(生活の質)は間違えなく向上し、容態次第では外に出て薫風に当たれるかもしれない、口から水が飲めるかも知れない、プリンやお粥だって食べられるかも知れません(ここ2年近くは、水、食物などの経口摂取は皆無)。

一方、その代償として、誤嚥のおそれが増えたり医療面のケアが後退することで逆に寿命を縮めてしまうことも考えられます。

要するに、私たち家族は腹を括ったのです。QOLを上げる方向に持って行くこと、それが今の母にとってより良いことではないのかと。たとえそれが結果的に寿命を縮めることになったとしても。

以上のような経緯や、不安、迷いを私が説明する中で、父がいみじくも言いました。
「あとは、婆さんの持っている運次第だろう」と。

私もそのとおりだと思いました。

今日の老人介護の状況、特に都内では特養ホームに入居出来ること自体がラッキーなことです。なので、今はすごくホッとしています。同時に、母の運が未だ使い果たされていないことを祈る、そんな変な言い方で本稿を締めるのはいささか気が引けますが、有る意味でそれは今の本当に正直な気持ちでもあります。

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