今年も残り一ヶ月となり、気忙しい時期が目前になりました。
私事ですが、実家整理と引越しの準備が今まさに佳境に入り、身の置きどころが定まらないこそばゆさを感じる昨今です。
そんな中で今月は4冊。
乾燥した空気のせいで眼がショボつくも、本の魅力に勝てず無理して遅くまで読む、翌日職場で「〇〇さん、眼が潤んでますよ」と言われ、「色っぽい?」と返してドン引きされる、そんな読書の図でございましたw
児童養護施設の先生方とそこで暮らす子供たちの物語。入居経験のある一般女性からの手紙が執筆の動機と著者は語る。
その手の施設は、名前を聞いたことがあっても、そこかどんなところで、誰が何をどうしているところなのか。本書を読んで気づいたが、私を含めて詳しいことを知らない人がほとんどではないか。
世の中には、無くてはならないものだけど一般には名前が知られている程度という施設は案外多い。
精神科病院、清掃工場、刑務所、少年院、基地、屠畜場、物流倉庫等々。最近でこそメディアを通じて上っ面ぐらいは知られるようになったが、それでも当事者とその心情、日常などを想像することすら難しい施設はたくさんある。
児童養護施設は、それらと同列に並べられるものではないしいわゆる嫌悪施設とも違うが、「関わりを持たなくて済むならそれに越したことはないもの」として一般の人々には目をつむられ無視される対象のひとつなのではないか。
その意味で、本作は小説でありながら人が生活する場、子供が成長する場である児童養護施設の内幕と内情を広く知らしめ、少しでも良い方向に持っていかんとする世間一般に対するプレゼンテーションとも言える。
終盤、主人公格の少女が地域の文化祭で政治家ほかの聴衆に施設を熱く語る場面は圧巻だった。
唯一の善は知識であり、唯一の悪は無知である(ソクラテス)
もう一丁、
ペンは剣よりも強し(エドワード・ブルワー=リットン)
原田マハを2冊続けて読んだ。
「カフー…」は著者のデビュー作にして第1回ラブストーリー大賞を受賞した沖縄の離島を舞台とする恋愛もの。
「風の…」は南大東島のサトウキビから作るラム酒で起業を目指す女性の実話に基づくサクセスストーリー。
著者は、フリーのキュレーター時代に沖縄を訪れてすっかり惚れ込んだらしい。両作ともに島の自然と風習、三線の響きのようにゆったり流れる時間を背景に、純朴で懐かしさを覚えるような人々が描かれ、そこには特別な歴史と文化を持つ島々への深い愛情と篤い思いが漂う。
著者のブログに、その境地の源泉が載っていた。取材旅行で沖縄を訪ねた折に勧められて訪ねた伊是名島(いぜなじま)。海岸で偶然「カフー(幸せ)」という名の犬に出会う。「その瞬間、何かが、どーんと下りてきた。(中略)幸せという名の犬に出会ってしまった・・・」。
それが小説を書くきっかけだったと。
人生は出会い。道行けば幸せに出会う人がいれば仔犬に吠えられイラッとする人もいる。明日は何が起こるか分からない。すべて見通せる人生なんて退屈なだけじゃないか。諸行無常ゆえに明日も生きようと思うのだ・・・
・・・ムム、2冊の何かにつなげて綺麗に締めるつもりだったが、I have no idea. 無謀だった。
あぁ、ラム酒をやりたい。
菩提樹の下で悟りを開いたブッダは、その後も80歳で入滅する間際まで自らの教えを説くためにインド北部を旅して回った。本書は、ブッダの最後の旅と入滅前後の様子を描いた大般涅槃経を著者の深い知識と洞察に基づき緻密に解説する。
大般涅槃経は、ブッダが弟子たちに遺したひとつの「組織論」であり、現代にも通じる組織運営の立派な指南書だ、と著者は言い切る。
ウム、そう来たか、というのが一義的な感想である。
初期仏教(著者が言う“釈迦の仏教”)は、大乗仏教一辺倒の日本にはほとんど浸透していないと私は感じているし、ましてや仏教の重要な要素である三宝(仏法僧)のうち僧(僧伽、僧団、サンガ)の概念も意識も薄く、出家僧に限ったことだからと軽んじられているような気さえする。
ブッダは、入滅に際し件の「僧団」を長きに渡り維持、継続するための教えを遺言のように遺した。そしてたくさんの弟子や信奉する人々に惜しまれながらこの世から去っていった…
ウ~ム、マニアックと言えばマニアックですな。その心を理解できたような気はするが自信はまるでないし、逆に日本の仏教界におけるこの手の話の解釈、受け取られ方がすごく気になってしまった。
…とはいえ、いつものように著者の知識の深さ、思慮深さには感服させられたので、評価は四つ星とした。