関東は、6/7に「梅雨入りしたとみられる」と例の煮え切らない宣言があり、それでも一応いつものように来るものが来たな〜、今年も鬱陶しい季節に入ったな〜、と一安心はさせてもらったわけですが、今年の梅雨は今のところシトシト雨の日は少なくて、むしろ若干暑いけど湿度低目の筆者好みな好日が続いているので、要らぬストレスを溜めずに済みながらも晩酌だけは過去に「酒は日々の句読点」と言い訳っぽく宣言した手前、意図的に義務感を感じながら律儀に続ける今日このごろ、皆様に於かれましてはいかがお過ごしですか?
無駄に長すぎる前口上はさて置き、この6月は3冊。ほぼ定番の作家さんばかりでした。来月は、ちょいと垣根の外へ出てみるか、などと思っております。
「円紫師匠と私」シリーズで知られる著者は、「日常の謎」を通して人の心の細やかな襞やその対極にある恐ろしさ、残酷さなどを描くのが得意だ。
本書では、世間の片隅でつましく暮らす9歳のさきと「お話を作ること」を生業とするお母さんの何気ない日常がシンプルなイラスト(おーなり由子氏)とともに優しく描かれ、いつもの高尚、深遠な謎解きを期待すると肩透かしを食らう。
一方で読者は、ユーモアや切なさを含んだ二人のやり取りやお母さんが毎晩さきに語って聴かせるお話などに謎解き以上の深い読みを強いられるので気は抜けない。
少々大げさかもしれないが、少なくとも筆者はこの作家の本を手に取る時には毎度そのように感じて少々下腹に力が入る。それにしてもこれほど上品、上質、教養、見識などの褒め言葉が似合う小説家も珍しい。
ちなみに、本書の解説(梨木香歩)がまた秀逸。まさに「深遠なる文学あるところに深読み人あり」である。
幕末の京の街で反幕勢力や不逞浪士の取り締まりにあたる「新選組」と、その屈強な隊員たちの高邁な志の裏に潜む狂気を、由緒ある花街島原の芸妓を始めとする女性たちの視点で克明に描いている。
なにしろ50を過ぎてからNHK大河ドラマで日本国の過去を学びつつある歴史音痴の筆者。大きな声では言えないが、この本はずいぶん前に一度挫折しているのだ。50前のことだったかもしれない。
小説職人の著者は、そんな筆者にも優しかった。新選組に興味が湧きましたよ、えぇ、・・・読んでいる間はね(汗)。
さて、大河ドラマもその流れをひも解けば、2004年にスマップの香取慎吾主演、三谷幸喜脚本で「新選組!」というのをやっている(いったいどんな近藤だったのやら)。2度目の五輪の後あたりには、一周まわって戻ってくるのではなかろうか。
その折の主演はりゅうちぇる?、などと空恐ろしい妄想も膨らむが、脚本がクドカンあたりなら許してやるか。
著者の代表作である自衛隊3部作の最終巻に当たる本書では、巨大甲殻類(早い話、バカでかいザリガニ。中盤で「レガリス」と命名される)の群れが米軍基地を擁する横須賀の街に襲来する。
「自衛隊vs巨大生物」という勧善懲悪、ステレオタイプな話にしないところに筆者はいつも関心するのだが、お約束の(しかも感涙ものの)人間ドラマやラブコメ要素を差し置いて、今回はこの一言に完全にやられてしまった。
「お手並み拝見致します!」
普通は、相手を見下す場面で使われるこの言い回し。本書では警察機動隊に最大限の敬意を払う自衛隊員から、ここしかない!というタイミングでドカンと発せられた。
横須賀の街と住民を無慈悲かつ機械的に蹂躙してゆくレガリス。その掃討に自衛隊の火器攻勢を誰もが待ちわびるが、出動の大義を巡って政治はいつものとおり堂々巡りを続ける。
その狭間を一手に担いジュラルミンの盾だけで横須賀を守るためレガリスに立ち向かう県警と警視庁の機動隊。それも官邸の決断を促すため、無様な敗走を政治家と世間に見せつけることを唯一最大の任務と割り切って。
そんな機動隊を忸怩たる思い、悲痛な面持で見守ることしかできない自衛隊員に対して機動隊長は「心配ご無用、火器に拠らぬ戦闘なら我々に一日の長あり!」と言い放って出撃してゆく。
それを見送る場面で万感の想いを込めたエールとして発せられたのが件の一言なのだよ、明智君。・・・完全にノックアウトされてしまったぞ。
有川マイブームは、まだまだ続く。