今回は、筆者とジーンズの関係を考察してみます。
結論を最初に言いますと、現在、筆者はジーンズを持っておらず、また、ここ40年は身に着けたことすらない「非ジーンズ」人間でありまして、加えて言えば「非たばこ」、「非コーヒー」人間でもあるのですが、ここではそれはさておき、とにかく20代以降ジーンズとは無縁の日々を送っている人間です。
その昔は「ジーパン」とも呼ばれた「ジーンズ」。
言うまでもなく青く染めたデニム地を基本とする衣服で、今や世界中、老若男女を問わず広く普及していますね。
そのジーンズを筆者はなぜ遠ざけるのか。理由を以下に列記してみますのでお付き合いください(一個人の偏見と屁理屈につき、突っ込みは無しということで)。
- 1.学生時代のトラウマ
- 1970年代の後半には、若者を中心にジーンズ流行の大波があり、それを身に着けること自体が反体制的、反権威的でオシャレという風潮がありました。
筆者も学生時代には周囲に影響されてジーンズを履いていた時期がありましたが、何の巡り会わせか、その時期には良い思い出よりどちらかと言えばマイナスの思い出や出来事が多く、それがジーンズのイメージとちょうど重なるのです。
人の気持ちや気分は、身に着ける服装によって明るくも暗くもなるものゆえ、ドヨ~ンと落ち込んでしまうような服をあえて身に付ける必要はない、という理屈がジーンズを遠ざけるようになった一番大きな原因です。 - 2.日本人の体形と気質には合わない
- そもそも1800年代後半に米国で発祥したジーンズ。西洋由来の洋服と同じで、もともと体格が良く肉厚な白人や黒人は良く似合いますが、胴長・短足、加えて肉付きが貧弱で貧相な体格の日本人には、物理的に格好良く着こなせるはずがありません。
また、ジーンズはとりわけカジュアルな衣服ですから、身に着けるだけでオフ、アンフォーマル、延いては「寛ぎ」、「脱力」、「チョイ悪」的なイメージを醸し出すものです。
一方、日本人は「仕事」や「公式」、「格式」などという何かに拘束された状態が大好きで、かつ働き中毒の気質をDNAに内包していますから、もともとオフ感、アンフォーマル感ムンムンの衣服は似合うわけがないのです。
それが証拠に、日本の官庁や大手企業でジーンズが制服として採用された話は聞いたことがないですよね? - 3.ジーンズに対する偏見
- 先に述べたように、米国で誕生したジーンズは、もともとはゴールドラッシュに沸く鉱山の労働者向けに作られた作業服でした。
工学系出身で長年、建設業に関わってきた筆者にとってみれば、作業服はあくまで作業服。それは現場作業における身体保護、危険防止、耐汚染性、耐久性などの必要により普通の衣服に替えて身に着けるものです。
そんなコンセプトを無視又は知らずして「オシャレに」、「着崩して」、「心地よく」、「楽しむ」等々、売り手の謳い文句に乗せられるなどは愚の骨頂。
若い男子に多い「腰パン」や擦り切れて穴の開いたジーンズなどを目にすると、(ア~、世も末じゃ)とため息が出るのです。 - 4.眺めるだけで充分
- とはいえ非ジーンズ人間の筆者でも、たまには日本人のジーンズ姿を(カッコエ~!)と思い、目で追う時がありましてね。
それは、背が高く細身でスタイルが良く、肉付きもそこそこよろしい女性限定で年齢は不問、ジーンズは細身のピタッとしたもの(ファッション用語はよく知らん)を身に着け、背筋を伸ばして姿勢よく歩く姿です。西洋人の体格から来るボリューミーな着こなしより余程格好がよろしい。
「そりゃハードル高過ぎ!」と仰るなかれ。概して洋服は姿勢が良ければそれだけでカッコ良く、美しく映るものです。美しい姿を眺めて何が悪い・・・、と開き直るも興味はそこまでで、だからといって自分で履こうとは夢夢思いません。
なお、当然ながらジーンズ男子は、常日頃から全て無視又は見なかったことにしておりますのであしからず。
以上、延々偏見と屁理屈を述べましたが、元来判官びいきの筆者としてはこれだけ世界中でメジャーになった着衣とはいえ、前述の理由から今更お金を積んで頼まれたとしても身に着けることはないでしょう。
それにジーンズに限らず、オシャレやファッション全般にほとんど興味が湧かない筆者でも、自分に似合わない服装くらいは分かっているつもりです。本稿は、そんな捻くれた気持ちを更に裏返して、ここぞとばかりに吐き出したものとご理解いただければ幸いです。