冒頭お断り申し上げますと、今年初めての書評は、グダグダの言い訳大会となっております。いやはや面目次第もございません。
一応、4冊挙げておりますので、年初に免じて最後までお読みいただければ幸いです_(._.)_。
植木雅俊「仏教、本当の教え」(途中棄権)
呉智英「つぎはぎ仏教入門」(途中棄権)
ひろさちや「「般若心経」実践法」(途中棄権)
池上彰「池上彰と考える、仏教って何ですか?」★★★★★
先月末から今月にかけては、正月休みもあったので仏教の入門書ばかり読んでいました。四国巡礼を本格的に始めた関係で、仏教の教えとは何かを知りたくなって買い求めたものです。
その結果、これはあくまで素人考えですが、3大宗教のうちキリスト教、イスラム教には、「旧約聖書」、「新約聖書」、「コーラン」という重要な教典があり、かつそれらが入り口かつ核心なのに対し、「仏教」とは掴みどころがなく限りなく難しいもの、という感をますます強くしました。
そもそもは、巡礼でせっかくたくさんの寺を廻って経を納めるという行為をしながら、単にゴールを目指すだけの「スタンプラリー」と同じレベルで考えては元も子もない、仏教由来の伝統ある行為、それも相当の時間と経費を掛けるものだけに、基盤となる「考え方」、いわば「拠り所」を自分の中に作っておきたい、・・・そう考えたのが仏教書を読み始めたきっかけです。
ところがいざ始めてみると、藪の中に迷い込むというのか、ドツボにはまり込むというのか、とにかく先が見えて来ない。
逆に仏教の場合、教典に当たるものは何なのか、各宗派ごとに違う教典があるのか、複数の教典があるとすればどの宗派の何から入ればよいのか、そもそも山ほどある「宗派」とはいったい何なのか、仏陀の教えは一つではないのか、かつて仏陀が人々に説いたことの本質とは何なのか等々、止めどなく疑問が湧いて来て、比較的身近に感じていた「仏教」が、途轍もなく難しく遠いものに思えてきてしまったのが正直なところです。
それに加えて、良かれと思って選んだ入門書の難解さたるや・・・、
Oh! My God!
もとい南無大師遍照金剛!
恥ずかしながら、上に挙げた4冊のうち、読了できたのは池上本ただ1冊だけ。あと3冊のうち、ひろさちや本はまだしも、残り2冊は内容、言葉遣い共とても難しくて理解するのに骨が折れ、2~3ページ読むと眠くなるという、書籍として致命的な欠陥を抱えていました(本のせいにするな)。
とは言え、ここでめげてはなりません。
とりあえず進むべき方向として「チベット仏教」、「仏教と心理学」、「ダライ・ラマ」あたりが、おぼろげながら見えてきましたので更に奮起して・・・、
・・・と言いたいところですが、ここは少し間を置くことにします。
来月は、いつものエンタテイメント路線に戻って骨休めするぞと。何事にも緩急は大事ということで。
且緩々 – sha kan kan
「落ち着きなさい。慌てず、焦らず、ゆっくりと」、そんな意味の禅語だそうです。
あぁ、なんと奥深き仏教ワールド。