昨日行ったN女子中学・高校の学園祭。ギター部の合奏による演奏で,ラデツキー行進曲,モーツァルトの交響曲第25番(第一楽章)ほかを聴かせてもらいました。中学,高校合わせて七十数名のメンバーで,プロギタリストの先生が編曲と指導,指揮を担当されているクラブでした。以下は演奏その他についての感想。
【感心したこと】
その1:七十数名の全員が全ての曲を暗譜で演奏していた。(誰が何と言っても驚異だ!)
その2:モーツァルトの速いパッセージでも指が良く動く(子がいた)。
その3:女子校とは神秘の花園である。(意味不明)
普通のギターのほかに,合奏用の特殊ギター(チェンバロ,アルト,バス,ギタロン)とコントラバスが入った本格的な編成で,各曲ともそれなりの迫力が出ていたなか,モーツァルトはコンクールに向けての仕上がりとのことで,出色の出来映えでした。惜しむらくは,私の先入観かもしれませんが,女子のみの演奏であるためか,やや,ひ弱さが感じられたことで,音量の少ないギターのこととはいえ,(そこっ,力強く!)と内心,つぶやく場面が何度もありました。
とは言え,自分のことを棚に上げて言い出せばきりがありませんが,中学生,高校生という,そう経験年数が長くない団体の演奏としては凄いな~,というのが正直な感想で,先生の指導力,統率力と生徒達の従順さ,純粋さのコラボレーションで出来上がるものなのかな~,と思ったりしました。
それと,恥ずかしながら女子校に足を踏み入れるのは非常に稀な経験でありまして(家人C,Dとも共学なのです),学園祭の訪問者も含めて,学校内にいる人間の大多数が女性という特殊環境には少しばかり,ドギマギしてしまいました。特に数少ない男子トイレを探すのにキョロキョロ歩き回って大汗をかき,やっと見つけて(あれっ,ここでイインダヨナ?)とおっかなびっくり中に入るという,貴重な経験をいたしました(大汗×2)。
【写真について】
左:N校は山の中腹にあり,生徒達はこの胸突き坂を毎日,登っていくのです。
右:本文とは無関係。N校に行く途中,きれいな花が道端に咲いておりました。
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「中学生,高校生という,そう経験年数が長くない」
というのは、安易に侮れません。
昨年、20年ぶりに後輩の演奏を聴いて、
打ちのめされました。(^^;)
学生の頃は、勉強は差し置いて、ギター
ばかり弾いていたように思います。
今は、家庭があり、日々の生活があり、
ギターの練習は最優先させるべき位置には
ないのです。
ギターとかって、経験年数ではなくて、
どんな期間にせよ、どれだけ濃い内容で
打ち込んでいたか、というところに
現れてくると思うのです。
学生が、毎日毎日、心を一つにして練習している
のは、ギター合奏においては、重要なことだと
思います。
パープルさん,こんばんは。
一人の人間が持っている「能力」というのか,「世界」のようなものの総量は年齢には関係なく,ほぼ一定なのかもしれません。
歳をとるにつれて抱え込む,あるいは抱え込まなければいけない荷物はどんどん増えていくので,ひとつひとつの物事に費やせる時間やエネルギーは反対に短く,薄くなって行く。私はそのように考えています。
そうかと言って,人生をあきらめている訳ではなく,もっとギターを弾きたいとか,良いギターが欲しいとか,趣味の世界以外にも人生設計上の希望や夢などもあるわけで,純粋に何かひとつのことに打ち込むというようなピュアな気持ちとは正反対の「あれもこれもしたいんやで~,欲しいんやで~」という欲の塊になっているのも確かです。(これ,私自身のことです。)
でも,いくつになっても打ち込めるものがあって,夢中になっている瞬間や思い返した時に充実感や満足感があれば,それはそれで幸せなことなのかな~と,思うのです。
的外れなフォローになっていたらすみません。