あまり言いたくはないが、Tokyo2020は最初からケチが付きっぱなしじゃないかとの意見がある。
筆者も薄々感じているが、せっかくの一大スポーツ祭典だし、生涯2度目の地元開催とあれば多少は贔屓目にもなり、「それを言っちゃぁ……」ということで心の中に仕舞って我慢している。
写真は、週初めに自宅から久々に見えた馬事公苑の照明灯の灯りだ。
馬事公苑は、前回1964の東京オリンピックと同じく馬術競技の会場とすべくかなりの規模で改修工事が行われた。現在、工事自体は落ち着いている様子で、周囲の道路からは真新しい建物や巨大な観客席(恐らく仮設と思われる)が望まれ、嫌でも国家事業としての力の入れ方を感じる。
一方、敷地周囲は未だ工事用の高い仮設塀が巡らされたままで中の様子は伺えないが、今週の月曜日には写真のように新設された照明塔に火が灯された。記憶の範囲で半年ぶりくらいだ。
スケジュール上近づく本番に向けて準備や試験、点検などの作業が行われているのだろう。
それは、いよいよ本番が近いことを改めて世間に知らせるサインにも見えたし、職業柄か工事関係者諸氏がその切ない胸の内を光に乗せて発信しているような気がしてならなかった。
昨今は、新型コロナ禍の下での開催が危ぶまれる一方、現実的には中止の選択肢も考えにくいと聞く。まさに進むも引く茨の道の様相だ。
筆者個人の希望も、スケジュールどおり「開催」と潔く「中止」の間を揺れ動く。未だにグレーである。
でもこの明かりを見ているうちに、耳目に入ってくる情報や後ろ向きになりがちな気持ちとは別に、関係者の苦労と尽力、アスリートの思い、国内外の期待など今まで積み上げられてきた山のようにたくさんのものと人の気持ちが無駄になりませんように……、と願っていた。
どうかこの照明が4年に一度の晴れ舞台で真価を発揮しますように、本競技の拍手や歓声が我が家まで届きますように、選手が本番で存分に力を出せますように、積もりに積もったケチを霧散させるようなスポーツの祭典になりますように、と祈るばかりである。
……が、気持ちはグレーなのがなんとも切ない。