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銭湯

「昔話をするようになると人生,下り坂」などと言いますが,もうとっくに下り坂なので今日は昔の銭湯の話を書きます。
子供の頃,私の実家には風呂がありませんでしたので近所にあった福助湯という立派な造りの銭湯に通っていました。その当時の銭湯について印象に残っていることを挙げてみます。

(1)午後3時の開場前には入口に行列が出来た。
(2)着替えはロッカーではなく籐製のカゴに入れていた。
(3)混んでいる時はひとつのカランを知らない人と共同で使うことがあった。
(4)木の桶がいつの間にかケロリンのプラスチック桶に変わっていた。
(5)男湯には小学生くらいの女の子も入っていた。
(6)女湯には髪洗い用の一回り大きな桶があった。
(7)女湯にだけ薬湯があった。
(8)しょうぶ湯(5月5日),ゆず湯(冬至)があった。
(9)立派な刺青の方がたくさん居た。
(10)ふんどし愛用のおじいさんも居た。

女湯のこと覚えているのは幼稚園頃まで母親と一緒に女湯に入っていたからで,小学校時代は父親と,中学校に入ってからは一人で男湯に入りました。
当時,私の実家(作者の「and more」を参照)の近所では内風呂のある家の方が珍しく,銭湯に通うのは当たり前で,父親に湯船のつかり方や身体の洗い方,お湯のかけ方(シャワーなんて無かった。)から,濡れた身体で脱衣場に上がらない,なんていう銭湯のマナーも教えられましたから,父親の背中を流すのは当然で,時には近所のおじさんの背中を流してあげることもありました。

小学校の頃は学校が退けてから近所の友達と連れだって銭湯の中で遊ぶ,なんてこともよくありましたし,騒いだり湯船をぬるめ過ぎて怖いおじさんに怒鳴られたこともありましたっけ。
要するに当時の銭湯は子供にとって自分の親や祖父,祖母以外の大人と身近に接する場所だったわけで,公共の場で人に迷惑を掛けないとか,共同のものを大事に使う,などという常識を銭湯の中で覚えていったような気がします。

私が通っていた福助湯は数年前に廃業してマンションが建ってしまいましたし,徒歩10分の範囲に4~5軒あった銭湯は1軒だけになってしまいました。東京都浴場組合のホームページによれば都内の銭湯はピークの昭和43年には2687軒あったものが平成16年には1077軒となっていますが,実際にはもっと少なくなっているような気がします。

また,そのホームページには銭湯でのマナーも掲載されていて「お風呂にはいるときはパンツを脱ごう!」なんてまじめに書いてありますから,友達同士で見せ合いっこをしてお互いの成長を確認していた当時のことを思い出すと笑うに笑えません。あ~中島みゆきじゃないけれど,そんな時代もあったねと,出るのはため息ばかりです。

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