八千草薫さんの個人的な思い出

八千草薫さんが亡くなられました。享年88歳。かねてから闘病中だったとのことです。

日本を代表する大女優、気品あふれる理知的な美人でありながら、ツンとすました表情や所作などは一切なく、仮に隣の家のおばさんだったとしても(失礼の段お詫びします)、まったく違和感のない親しみやすさや柔らかい空気感を常に醸し出している方でした。

(写真は、単なるイメージ。八千草さんとは関係ありません)

 

実は10年以上前、恥ずかしながら筆者の好きな女優や有名人を意味なく連ねるエントリーをアップしたことがあります。そのとき筆頭に挙げたのが八千草薫さんでした。

 

干支で二回りも上の方だし、女房子供の手前大きな声で言うのははばかられますが、今でも本当に大好きな女優さんです。

今日は八千草さんを偲んで、個人的な思い出を3つ挙げてみることにします。

 

1.名前やお姿を目にするたびに倉本聰の「うちのホンカン」を思い出す

堂々とタイトルにしたが、実はTBS系のテレビドラマ「うちのホンカン」は見たことがない。

学生のころ、親しい友達から「八千草薫が、ドラマで大滝秀治演ずる警官の奥さん役をやっている」と聞いて以来、勝手に想像したそのドラマのイメージと八千草さんが頭の中で強く結びついているのだ。

まじめで実直そのものの「駐在さん」である大滝ホンカン。仕事上の正義感をそのまま家持って帰ってくるので家族の前では筋金入りの頑固親父である。だから仁科明子演ずる一人娘には常々煙たがられている。

そんな家庭で警察官の妻として、嫁入り前の娘の母として、毎日に細やかににこやかに家事をこなすその屈託のない振舞いは、家の中ばかりでなく町内まで明るく和ませていたことだろう・・・

あの大滝秀治さん演ずる実直そのもののホンカンが、次から次へと家で繰り出す無理難題も、八千草母さんは溢れる慈愛をもってサラリサラリと丸く修めていたことだろう・・・、と想像を膨らませる。

いちど見てみたいものだ。

 

 

2.筆者の実父と同じ持病を抱えておられた

逝去の報道からは聞こえてこないし記憶も不確かだが、八千草さんがメニエル病を患っているとの記事を読んだり、耳鼻科の病気をテーマにしたテレビ番組に出ているのを見た憶えがある。

メニエル病は、耳鳴りや難聴、めまい、吐き気の発作を繰り返す難病指定されるほど完治の難しい厄介な病気だ。筆者の実父も若いころからメニエル持ちで、発症してから亡くなるまで約50年もの間、めまいや難聴に苦しめられた。

だから、いつもお見かけするたびに、あの笑顔や上品な立ち振る舞いの裏には、辛い病気との戦いがあるのかと僭越ながら頭の片隅で不憫に思っていた。

最期もがんで闘病中だったと聞くので、逝去後は病気も忙しいお仕事もない彼岸にて、安心してゆっくりお休みください。

 

 

3.街で突然鉢合わせするもにこやかにサインをくださった

昔話ばかりで恐縮だが、20代のころ、やはり友達と虎ノ門あたりを歩いているとき、八千草さんと偶然お会いしたことがある。それは、ちょうど「美容室」の看板のある建物から出てこられたところだった。

こちらも驚いたが、仏頂面の見知らぬ通行人達と突然鉢合わせした八千草さんも大そう驚かれたようで、お互いに「ウワッ!」という感じだった。そのとき、顔と顔の距離は1mを切っていたと思う。

約40年前のことだし、美容処置を終えたばかりとお見受けした八千草さんは、ひと際お綺麗だった。

既にファンだった筆者は、瞬間的にカッと頭に血が上ったものの、咄嗟に鞄に入っていた方眼紙とペンを取り出してサインをお願いすることに成功した。八千草さんはビックリ顔から笑顔に戻って「ハィ~」と気さくに応じてくださり、青いサインペンでそれはお人柄らしい優しげなサインを書いてくださった。

このときの「ハィ~」のニュアンスを適格な文字に表すリテラシーを残念ながら筆者は持たない。ほかの何ものでもない、あの八千草さんの八千草さんによる筆者のための「ハィ~」だったのである。

この記憶は、生涯の宝物、一生ものの思い出なのだ(サインそのものは、引越しを繰り返すうちに残念ながら失礼ながら紛失した)。

 

ということで、八千草さんのごく個人的な思い出でした。

思うに、病気と闘いながら女優を続けるほど芯が強く、たくさんの努力と少しの幸運で天職と巡り会った・・・、そんな方ではなかったでしょうか。

 

改めまして、謹んでご冥福をお祈りします。

合掌

 

 

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