親の介護と実家問題の個人的まとめ【4/4】

筆者は54歳の時から約8年間、年号では平成22(2010)年末から30年(2018)12月まで家族と離れて両親が住む実家で暮らしていました。イメージとしては、たまに自宅に戻る単身赴任のようなものです。

(中略:1/4をご参照ください)

今日は、その長いようで短かった8年間の出来事や、その間に感じたことや湧いてきた感情などを書いてみようと思います。

目的は2つ。ひとつは、そう遠くない将来必ずやって来る自分自身の「被介護期」への準備のため。もうひとつは、人生の終盤から終局において家族に掛ける負担や面倒を極力少なくするため。

2点はほぼ同じ意味かもしれませんが、そのような視点で読んでいただくと少しは分かりやすいかと思います。

※長くなりましたので4回(1/4 〜 4/4)に分割して掲載しました。今回が最終回です。

 

1. お金と忍耐はいくらあっても困らない

2. 戸建て住宅よりマンションを選んだ理由

【1/4】へ

 

3. モノは大切にしても溜め込まないのが吉

4. 一目見れば理解可能な遺物にまとめる

【2/4】へ

 

 

5. 孤独と折り合う方法を聞きたかった

6. 望郷の念と墓について

【3/4】へ

 

7. 人生の最終盤に見えたもの

母についてはもう一つ語りたいことがある。

筆者が単身で両親と同居する前に、母は心不全で一度死にかけた。ある日の早朝、胸の苦しさで命の危機を感じた母は、電話の置いてある玄関まで自力で這って行き救急車を呼んだ。同じ部屋に父が寝ていたが、たまたま長年の持病であるメニエル病から来る目眩の発作で動けなかったらしい。

職場で呼び出しの電話を受け慌てて病院に駆けつけた筆者は、人工呼吸器を口に刺され顔面蒼白、荒い息でベッドに横たわる母を見て、(これはダメか…)と覚悟した。しかしその後、入院3カ月で自力歩行ができるまでに回復し、なんとか家に帰ってきた。

老夫婦の二人暮らしに限界を感じて筆者が同居を始めたのは、その直後である。

その後しばらくして今度は誤嚥性の肺炎を起こし、入退院を繰り返すうちに母は、再び病院で寝たきりになった。食事も誤嚥防止のため経鼻チューブでの栄養補給だけになり、一時はこのままフェードアウトかと思ったが、入院約2年(!)にして病院での処置やリハビリが功を奏して容体が好転し、ダメ元で応募していた新設の特養ホームに折良く転院することができた。

母は、もう一生病院から出られないものと思っていただけに、この時も本当に嬉しかった。高倍率のホームにタイミング良く入所できたこともあって、その時は奇跡のように思えた。

その後のホームでの頑張りもすごかった。入所当初は、新しい環境と対人関係にかなり抵抗があったようだが、持ち前の人当たりの良さと社交性でなんとかソフトランディングし、ホームでの生活を楽しむまでになった。

フィジカル面も、介護士さんたちの手厚いケアによって車椅子でフロア内を自力で自由に移動できるまでに回復した。この時も、前向きな姿勢に加えメンタルと生命力の強さに母を見直したものだ。

結果的に特養ホームには8カ月間世話になり、その後体調を崩して別の病院でほぼ老衰のように亡くなったが、その間、母から愚痴らしいものはほとんど聞いたことがなかった。むしろ人生の最終盤に当たって、強いメンタルと内に秘めた生への闘志を子供に見せ、思い残すことがなくなったので旅立って行ったような気さえする。

筆者自身、人生の終局を考えるようになった今、母の晩年に想いを巡らすたびに自分もそうありたいと思うのだ。

 

8. 医療と人間の尊厳についての素人考え

「胃ろう」に代表される医療もしくは延命措置について少し語りたい。

人間は、個人差はあるとはいえ年を経るごとに身体の本来持つ機能や能力が衰え、やがては死に至る。その過程における痛みや苦しみを少しでも和らげ、少しでも命を延ばそうとするのが医療の大きな役割であり価値でもある。

高齢者に対してよく行われる胃ろうもそのために用いられる医療技術の一つだが、単なる延命措置に過ぎないとの意見があるのも事実だ。

父母ともに介護生活中、誤嚥による肺炎に罹り止むを得ず手術で胃ろうを設けた。

設けるに当たって医師からは、嚥下機能改善の訓練を続け、経口の食事が可能になれば胃ろうは不要になるので取り外すこともできるとの説明があり、それならばと筆者は納得し承諾した。

また、その段階で幸い認知症はなく意思疎通は可能だったので、筆者としては医師と医療機関を信頼し、父母に胃ろう装着の優位性を説明し首を縦に振ってもらった。

結果として父母とも胃ろうによって一定の延命は図れたが、それを着けたまま、口からの食事が全くできないまま亡くなった。筆者はその過程を目の当たりにし、胃ろうのメリットの裏には、人間の本来あるべき姿を捻じ曲げてしまう危うい側面があるのを感じた。

その頃のことを思い出すと今でも3つの疑問が湧く。

病院に対しては、(1)訓練による嚥下機能の回復は、その時点で本当に可能だったのか、(2)胃ろう設けることに病院側のケアを省力化する意図はなかったか、の2点。

自分自身に対しては、(3)父母への説明は、胃ろう装着について単に「Yes」の答えがほしかったからではなかったか、という点。ご推察のとおり、これには後悔と反省を含む。

そんな経験から翻って自分自身の問題として捉えたときに、自意識があって意思表示ができる限り、胃ろうの装着は拒否しようと思っている。誤嚥などで経口の食事が出来なくなったときには、点滴やカテーテルでの栄養補給までは容認するとしても、胃ろうによって人間的な生活、言い換えれば人間の尊厳を奪われることには、強く抵抗を感じる。

人間は、口から食事が摂れなくなれば衰弱するのは必然である。その結果、命を落とすのは極めて自然なことだと思うし、それが人間本来の最期の姿ではないかと思うのだ。

もし胃ろうの装着を拒んで、そのときに周りにいる家族や医療関係者の皆さんが気を揉んだとしても、最期のわがままとして許してもらおうと思う。

 

9. 大事な家族に遺すもの遺さないもの

まとめは筆者自身のことになる。

結婚以来、仕事にかまけ、人付き合いにかまけ、また両親の世話にかまけ、家庭を蔑ろにしてきた。子供のしつけや教育も家内に任せっきりだったし、夫として妻を大事にしてきたかと問われれば、自信を持って「否」と答えざるを得ない。最近、家内から発せられた「あなたは今まで好き勝手にしてきたから」の一言にも返す言葉はなかった。

ことほど左様にダメな亭主、ダメな父親だから、本項の主題「親の介護と実家問題」についてだけは、女房子供に迷惑をかけないようにしたいと思っている。

具体的には、筆者の晩年、最期、死後に家内と子供達に不治の病や介護で経済的負担や心労をかけない。そのための準備として出来ることは元気なうちにやっておく。また、遺すもは価値のあるものだけにして物質的な遺物は極力少なくする。そして、一目見て後の処理が出来るようにしておく。

もう一歩広げて、家族に途轍もない困難を残す不慮の事故や自死は、絶対に避ける。病院で永眠することを前提に尊厳死のような面にも答えを出し自意識のあるうちに意思表示しておく。墓問題は生前に解決しておく。

まだまだあるような気がするが、すでに風呂敷を広げ過ぎだからこの辺にしておこう。どこまで出来るのか定かでないこと、確証がないことを偉そうに書いたが、こうして意識することで目標に少しは近づけると思う。いや、意識して努力しなければならない。

・・・と、ここまで書いて気がついた。

いずれも家族に看取られて逝くオヤジを前提とした決意だ。今からでも遅くはない。家族は大事にしないと。

関連記事:

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください