親の介護と実家問題の個人的まとめ【1/4】

筆者は54歳の時から約8年間、年号では平成22(2010)年末から30年(2018)12月まで家族と離れて両親が住む実家で暮らしていました。イメージとしては、たまに自宅に戻る単身赴任のようなものです。

家庭内に居場所がなかったとか、配偶者と折り合いが悪かったとかいうツッコミ甲斐のある事情からではなく、80半ばを過ぎた父母の見守り&介護と実家整理のためでした。

つまり昨今よくある親の介護問題や実家問題の真っただ中に8年間居たという次第。

同居から4年目に母が、6年目に父が他界するまでの間は、会社勤めをしながら常に1~2人の要介護老人の面倒を見て、残りの2年間は、葬儀後の法要や相続関係、そして実家自体の仕舞い事に終始していました。

 

今日は、その長いようで短かった8年間の出来事や、その間に感じたことや湧いてきた感情などを書いてみようと思います。

目的は2つ。ひとつは、そう遠くない将来必ずやって来る自分自身の「被介護期」への準備のため。もうひとつは、人生の終盤から終局において家族に掛ける負担や面倒を極力少なくするため。

 

2点はほぼ同じ意味かもしれませんが、そのような視点で読んでいただくと少しは分かりやすいかと思います。

※長くなりましたので4回に分割して掲載します。

 

1. お金と忍耐はいくらあっても困らない

生前の父母は、介護保険の要介護認定を受け、デイサービス、訪問看護、特養ホームなどの世話になり、また肺炎や圧迫骨折などで病院に入退院も繰り返していた。

お陰で、介護の主体だった筆者は、幸いなことにそれほどヘビーな介護はしなくて済んだ。その意味で、現在の介護保険、医療保険制度に大いに助けられて、なんとか親の介護期を乗り切れたと思っている。

 

また費用面では、結論から言うと父母から託された資金で、二人の介護、医療、葬儀、墓の建立、納骨、法要など諸々の費用を賄って残金はほぼゼロ。つまり自分たちの老後に必要な金額と丁度ぴったりの資金を着々と蓄えていたのだ。

それが偶然と幸運が重なった結果であっても、我が親ながらすごく立派なことだと思っている。

 

しかしながら介護する側として大変なこともあった。

ヘビーな介護ではなかったとはいえ忍耐強くやらねばならない場面は多々あったし、費用面に於いても、二人揃って同じ病院に入院していた時期には、筆者の月給と同じくらいの医療費支出が約一年間続いたこともあった。

 

この時期は、仕事上は管理職だった。その上で、病院には頻繁に様子を見に行かねばならなかったし、汚れた衣類の洗濯など雑事の負担もあって精神的、肉体的にかなりきつかった。

介護の重さ、難しさの一つに「いつまで続くか分からない不安」というものがある。また、前述のように親とはいえそれなりの忍耐が必要だし、健康と体力も重要だ。

 

まとめると、介護には何しろ金がかかるので、被介護期に向けての資金の蓄えは多いに越したことはない。

一方、介護者の精神的、体力的負担は相当なものだから被介護者は、その意識を重く心に留め置くべき・・・、と言ってしえばそれは健康な者の傲慢になってしまうし、なんの意味もなさないのだが、現時点ではそう書くことで自分自身への戒めとしておきたい。

 

 

2. 戸建て住宅よりマンションを選んだ理由

実家は都内荒川区に建つ一戸建て。木造住宅が密集する地域の袋小路の一番奥で、四周はほぼ隣家の壁と接し陽当たりは宜しくない。土地はもともと借地で、筆者が30代半ば頃に地主から底地を買い取った。

それだけでピンと来る人もいると思うが、我が実家は隣近所、町内会及び地主との関係性がとても濃く、何かにつけて相談ごとや交渉ごとが多かった。長男である筆者は、学生の頃からその渦中に巻き込まれ、父ともども良い話、そうではない話を諸々織り交ぜて経験してきた。

 

特に、自分の子供が成長期に差し掛かった頃に地主から底地の買い取りを持ちかけられ、あまり嬉しくない借財を15年にわたって背負うことになった。ちょうど教育費が嵩む時期でもあったので、家族にも相当な苦労をかけた。

また、相続を受けた今も、土地建物の仕舞い方においては現在進行系でかなりの手間を強いられている(詳しくは決着後に書くつもり)。

 

つまり筆者は、半世紀近く親の持ち家の土地建物に拘束され、今もなお呪縛を受け続けているのだ。

だから自分自身の終の住処を考えるにあたり、住居、仕事とも東京都内を前提として家族の意向も尊重しながら考えた時に、親の実家をもらい受けそのまま住み続けるという選択肢は考えられなかった。

また、前述の事情から戸建て住宅にも抵抗感が出来ていたので、結果的にマンション一択となった(その点に関し家族からの異論はなく、むしろ前向きになってくれたのは幸いだった)。

 

要するに筆者は、自分が経験してきたような面倒な厄介事を家族、特に最終的に相続を受ける子供達には遺したくなかったのだ。

マンションでの生活がこの先どう展開するかは予想がつかないし、筆者自身の欲や煩悩の反映であることは間違えない。ただ面倒や厄介事は、自分が背負い込んだものよりは恐らく少なかろうと思うし、また、そうであって欲しいと願っているのである。

 

 

3. モノは大切にしても溜め込まないのが吉

4. 一目見れば理解可能な遺物にまとめる

【2/4】へ

 

5. 孤独と折り合う方法を聞きたかった

6. 望郷の念と墓について

【3/4】へ

 

 

7. 人生の最終盤に見えたもの

8. 医療と人間の尊厳についての素人考え

9. 大事な家族に遺すもの遺さないもの

【4/4】へ

 

 

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