「呪縛」について考える

今回は、昨今身の回りで進行中のことを「呪縛」というキーワードに引っ掛けて書いてみました。

 

心理的に人の自由を奪うことを呪縛というそうです。

いつの間にか増えてしまった荷物に気が付いたら縛られていた、なんてことはよくあることだし、考えてみれば地球上に生まれてきた私たちは、地球という存在に初めから縛られていると言えるのかもしれません。

昔、アラブの偉いお坊さんが自由を奪われた哀れな男に、
「人は、棺桶のふたが閉まったときにすべての呪縛から解放される」
と教えてあげました。

なんてことは、まるでありません。
伊坂幸太郎の”砂漠”みたいな…

 

土地の呪縛

近いうちに実家の土地を処分することを考えている。
 この数年で父母とも鬼籍に入り、その後空家になった家の片付けや諸々の整理に終りが見えてきたからだ。

 思い起こせば50年近く前から、借地契約の更新、家屋改築、底地買取りなどの都度、父に連れられ地主の古くて大きな家に行った。価格交渉や手続きの手伝いをするためだった。

 足かけ3つの時代を生きた父母が子供に遺し、自分自身も生まれて以来支えられてきたものではあるが、一時期はそれに由来する少し大きめの借財も背負った。ちょうど子供の教育ほかに金のかかる時期で自分自身しんどかったし、なにより家人Bには苦労をかけた。

たくさんの思いが詰まった親と同じくらい大きくて重い存在。

 それをいま、きれいさっぱり処分しようとすることに当然躊躇いはあるし迷いもする。それでも話を前に進めているのは、上にちょいと乗っかっているだけの人間が複雑な思いを抱えていることなど全く意に介さず、長い時の流れの中に厳然と存在するそいつの呪縛から解放され、一刻も早く安堵感を味わいたい、その一心からだ。

筆者の残り時間もだんだん少なくなってきた。そろそろいいだろう。

 

人の呪縛

それは、最近公私に渡って連むことの多い友人A氏のことになる。

 A氏は、筆者とは共通の知人であるB氏に定年後の再就職の世話を焼いてもらい、それ以後B氏からかなり強めの呪縛を受けることになった。

 寄せては返す波のように繰り返される有形無形のハラスメントとそこから来る心理的な縛り。
 ここ1年ほどは、明朗快活を絵に描いたようなA氏の口から聴くのが辛くなるような愚痴が出るようになり、どこかで心の糸が切れやしないかと気になっていた。

 そのA氏が、このたびは高齢のお父上の面倒を見るため郷里に帰ることになった。そんな時期に差し掛かっていることは以前から聴いていたので、件のB氏はもちろん、近しい仲間たちもそれほど驚かなかった。

しかし筆者には見える。
 ひとつの呪縛から解放される安堵感をひた隠しに隠す彼の優しい性根と、跡を濁さず立つためのストーリーを描きそれを愚直に実践しようとする繊細な気遣いが。

 昔、どこかの国の渋い探偵がさんが恋人に
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
と言ったとか。

 住まいを移すための準備を進めるA氏を見ていたら、そんな気障な台詞が自然と浮かんできた。

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